【フランス文学専攻】人と人との関わりを学ぶ、経験の大切さ。


山下枝土 さん

博士前期課程フランス文学専攻



自分とは異なる読み方に出会う

Q)今日はお時間をとっていただき、ありがとうございます。それでは、まずは山下さんがいま研究なさっていることの魅力を、学問や研究についてあまり馴染みのない方々にも分かるように、説明していただけますか?
A)私が研究しているのは、19世紀フランスの小説家、バルザック(Honoré de Balzac, 1799〜1850)です。彼に関心を抱いたのは学部2年のときで、受講した博多かおる先生の授業で、『ゴリオ爺さん(Le Père Goriot)』という作品に触れたのがきっかけです。バルザックの代表的長編小説で、上流階級を写実的に描き、家族や結婚のあり方を悲観的にみつめたものです。その作品を通じて、他の作品も読むようになりました。バルザックは、同じ人物を複数の作品に登場させているんですね。授業で習ったことなんですが、「人物再登場法」。これによって読者は、その人物の過去であったり、未来も見ることができるんです。その登場人物をひとつの作品だけじゃなくて、複数の作品を通じて、いろいろな視点からみることができるっていう、そういう面白さを感じるようになったわけです。
Q)なるほど、そうすると作品論から作家論に展開してゆく形でしょうか。バルザックという作家は、その、博多先生の授業の前からご存知だったのですか?
A)いえ、それまではまったく読んだことがなくて。博多先生の授業が大きかったです。授業ではもちろん小説も分析したんですが、映画化された作品や舞台芸術も同時にみて、どこが違うかも考えて。脚本家や演出家によって、作品のあり方が大きく違ってくる。そこも面白さのひとつだな、と感じるようになりました。
Q)文字に限らず、物語そのものに関心をお持ちなんですね。フランスという地域の文化や、文学のあり方全般には、もともと興味はお持ちだったんでしょうか?
A)はい。私が上智のフランス文学科に進学したのは、幼少期の頃に1年ほど、父親の仕事の関係でフィリピンに滞在していたことがありまして。まだ5才ぐらいで、子どもたちが物売りをしていたり、物乞いをしているような現実を目の当たりにして、同年代の子どもたちが働かざるをえない状況に大きな衝撃を受け、教育を受けられない環境が将来の選択肢を奪ってしまう現実を強く意識したことが原点となって、「子供たちが夢を諦めなくてよい社会をつくりたい」という思いが芽生えました。そのときは、もっと単純な気持ちだったんですが、それがずっと頭の片隅にありまして。いざ受験するとなったときに、自分は本当にしたいことは何だろうと考えて、そういった子どもたちに文学を通して、物語の面白さを伝えることを通じて、彼らの将来の指針になるようなものを提示できるんじゃないかと考えたんです。
Q)そうしますと、フランスの文化や文学に対して単純にお好きだったというより、もっと社会的課題の解決というか、文学や物語そのものの役割、力みたいなものへの関心や、責任感のようなものが先にあったというわけですね。しかしなぜ、フランスなのでしょう。フランスへのそもそもの興味は、そうしたこととは別にお持ちだったのでしょうか?
A)フランス文学への関心としては、やはり、いちばん有名ともいえるような、『星の王子さま(Le Petit Prince)』を読んだことですね。そのときは、それがフランス文学だということは知らなかったのですが、ほかにも『タンタンの冒険(Les Aventures de Tintin)』とかバンド・デシネ(bande dessinée)1の作品を、子どもの頃に全部読み通すほど好きだったんです。そうして、成長してからよく考えてみると、ああ、みんなフランスだった、と。
Q)そうか、『星の王子さま』って、確かに日本でもとてもポピュラーですが、フランス文学だと認識している人は少ないかもしれませんね。そこからバルザックまではずいぶん距離があるかと思いますが、その変化は大学に入ってからということなんでしょうか。
A)そうですね。
Q)これまでいわばファンタジー的なものに親しんでフランス文学科へ進学されて、入学されてから専門的な研究と出会われたわけですよね。その第一印象はいかがでしたか?
A)これまで自分がみたり読んだりしてきたのは、まず近代のものばっかりだったんだなというのが印象的でした。1年のときに、「研究入門」という授業があるんですが、そこではもっと古い最初から、中世や近世の作品も扱って。また、いわゆる紙に書かれた小説だけではなくて、演劇作品などもみていきましたので、物語を読み解く面白さはより感じるようになりました。
Q)フランス文学への接し方というと、例えば『三銃士』とか『モンテクリスト伯』とか、あるいは『レ・ミゼラブル』などから入って、(日本では『ベルサイユのばら』なんかもありますし)それらを通してフランスの歴史や文化を知ってゆくのが一般的かなと思うのですが、そうではなくて、いわゆる童話や児童文学から一飛びに専門的な作品群へ、という接し方だったわけですね。
A)そうですね。一般的には、何か娯楽的で読みやすい小説、という形になるかもしれないんですが、私は教授のお話をうかがったり、作品の時代背景であったり、文学の方法や理論を教えていただくなかで、こういうふうにも読めるんだ、読み解くことができるんだと感じたことや、学生どうしでグループ・ディスカッションする機会もあったので、自分の読み方とは違う視点にも接することができて、それが面白かったんだと思います。そこから始めて、膨大な情報を集めて自分で整理してゆくる分析力とか、文章を論理的に構成して記述する力とか、物ごとを単一の視点からだけではなく多角的な視点から読み解く手法などを培うことができました。それらは今後将来、自分が何かアクションを起こしてゆくときに、たくさんの人たちと関わって情報を読み解いたりしてゆくなかで、すごく役に立つのではないかなというふうに思っています。

熊本にあるオリジン

Q)将来目指すところはすごくハッキリしているなと思うのですが、それだけなら例えば4年間勉強して学校の先生になる、でもよかったわけですよね。それを、たぶん卒論をお書きになりながら考えられたのだと思うのですが、大学院に進学してもう少し研究を続けよう、と決められたのはなぜでしょう?
A)卒業論文では『ゴリオ爺さん』を扱ったわけですが、そのテクストのなかにある動物表象表現を分析していったんですね。実のところ、バルザックがとても動物に関心があったとか、そういうわけではないんですけれども。2年生で授業を受けているとき、その授業で扱ったわけではないんですが、読んでいて何かすごく動物表象があるな、と感じていたんです。それがずっと心のなかにあって、卒論で扱ってみたいと。その背景としては、やはり19世紀の動物園の流入であったりとか、産業革命や人口の流入によって、観相学っていう外見で人間の性質や性格を読み解く学問の展開があったことなども分析しまして。でも、卒論を提出し終えてから、先ほどもいいましたがバルザックは同じ登場人物を複数の作品に登場させているので、他の作品ではその人物に対する動物表象はどう使われているのか、表現の仕方に違いがあるのか、変化する可能性をみつけたいというふうには考えていたんですが。やはり卒論では、作品を厖大に扱うのはちょっと難しくて、そこまではできなくて。また、 先行研究でもすでにそういう指摘がなされていたので、自分はもうちょっと違う視点から作品を分析したいな、という思いがあって。大学院に進学するときに、動物表象だと社会的背景への重心が大きくなってしまうので、他の作家を取り扱うべきか、乗り換えるべきか、博多先生に相談したんですが、まずはそのままでいいと仰っていただいて。それから、ちょっと方向性は違うんですが、例えば噂とか手紙とかというコミュニケーションが、人の心の動きにどのような影響を与えてゆくのか、という点にも関心を持つようになったんです。ひとつの作品のなかでも分析できるんですが、やはりバルザックだと作品の枠を超えた、作品どうしの影響関係を見出せるので、面白いなと。そういうことを、動物表象とともに考えるようになったのがきっかけで、進学したいなと思うようになったんです。
Q)なかなか複雑な興味・関心ですが、純粋に学問への関心が強くなったことで、進学したいというお気持ちになったんですね。ぼくも専門が環境人文学的なところなのですが、近代文学に出てくる動物表象が、それ以前のものとどう変化しているのかは重要な問題ですね。先ほど動物園や観相学のお話が出ましたが、動物園の起源は万国博覧会であり、それは帝国主義による植民地からの簒奪品の展覧会でもあったわけですよね。観相学や骨相学は、やがて優生思想へ繋がって、帝国主義を正当化する疑似科学へ育ってゆく。動物観も、文明の道具、素材になってゆく画期だと思うのですが、バルザックのなかにも、そうした変化は現れてくるのでしょうか?
A)そうですね…。私は主に譬喩表現として注目しているのですが、動物そのものが作品に登場するのは、「砂漠の情熱(Une passion dans le désert)」という作品以外、まだみたことがありません。この作品は、唯一実際の動物が登場するのですが、ナポレオンの遠征期に、沙漠で兵士とメスの豹が出会うという。お互いに心が惹かれあってゆくのですが、心理描写や豹をめぐる文章表現が、人間を主体とするものになっているわけです。そういう面白さがあって、一時期分析したりもしていました。
Q)なるほど、マルチ・スピーシーズ的な面白さがあるんですね。いまうかがっていて、近代ロシアのバイコフという作家の、『偉大なる王』という作品を思い出しました。北満州の針葉樹林が開発され、破壊されてゆく時代を背景に、その密林に君臨したアムールトラの生涯を、人間との関わり、他の動物たちのエピソードを絡めて描いたルポルタージュなんですね。バルザックよりもう少しあとの時代で、フィクションとルポルタージュという違いはありますが、文明と野生の対置の仕方など、よく似ているかもしれません。そういえば、『星の王子さま』も砂漠ですね。自然へのまなざしというのは、いかがでしょう。山下さんのなかに、関心としては強くあったのでしょうか?
A)そうですね…。熊本で生活していた頃は、やはりこういった東京の都会とはまったく異なる環境でした。目の前には田んぼが広がっていて、祖母の家にはみかん畑がありまして、家族みんなで収穫をして、出荷を手伝ったりもしました。海が近かったので、釣りにもよく行きましたね。そうしたなかで育ったんです。動物との関係でいえば、ペットも飼っていましたし、長く通っていたピアノ教室には、いろんな種類の動物がいて、触れあう機会は多かったと思います。
Q)何かそうした動物たちに、特別な思いを持たれたことなどは?
A)どうでしょう…。ペットについては、やはりアニマル・セラピー的な印象でしょうか。母親に怒られたときに、何かこう慰めて寄り添ってくれる。なぜ好きなのかっていわれると、ちょっと難しいんですけど。でも、幼い頃は恐竜の図鑑をみるのも好きでしたし、昆虫採集などもよくやりました。カブトムシの成虫を夏に捕まえてきて、生んだ卵をタッパーに入れて、幼虫からまた成虫に戻す、ということもやっていました。
Q)日本の古典で「虫愛づる姫君」というのがありますが、女性では珍しいですね。お名前が「枝土」と書いてシトとお読みになる、なかなか素敵なお名前だなあ、ご両親も何か自然に対して一家言おありなのかなあ、と感じたのですが。
A)シトって、普通に書けば「使徒」なんですね。べつだん、父も母もカトリック教徒というわけではないんですが、父が自宅の近くにあった小さな教会に通っていて、それで聖書のことばを借りてきたようです。「枝土」という字は、やはり父が、広い心を持って多くの人と繋がれるように付けた、と聞いています。自然についてどうかは分からないですが、両親とも熊本出身なので、自然豊かな環境のなかで育ったことは確かだと思います。そういえば、母親には教育方針があって、こんなに自然がまわりにたくさんあるのに、ヴァーチャルな、技術的なものを使って遊ぶ必要はないと、ゲーム機なんかを一切買い与えてはくれなかったんです。そういうことはやはり、自分の今の人生にも繋がってるのかなとは思いますね。
Q)お名前をインターネットで検索すると、小学校1年生のときに、熊本県の「くらしと土木の週間」記念行事「土木の日」絵画・写真コンクールで、金賞を受賞されていますよね2。こう、パワーショベルなんかが力強く描かれた絵で。
A)(笑)ああいう絵を描いたのは、父が土木関係で働いていたからなんです。あとは、ちょうどそのとき、新幹線開通のための工事が、近所でずいぶんあったんですね。父親がどんな仕事をしているのかな、っていう関心はとてもあったんです。あとは、絵を描くのが好きだったんですね。想像力に技術が伴っていないので、ぜんぜんうまく描けないんですが(笑)。母や妹もとても得意で。美術館にもよく行っていました。
Q)芸術にも関心がおありなんですね。
A)いまでも、美術館にはよく行くんです。友だちと行くとゆっくり自由に観られないので、いつもひとりで。あるいは、母と行くことが多いですね。母と行くと、絵が上手な人からの意見が聞けて、面白いなって。
Q)お母さまの存在が大きいんですね。
A)はい。父は単身赴任が多かったので、母が父親の代わりもしてくれていて。友達みたいな関係ではなく、やっぱり尊敬する女性という感じです。そう、母も小さいときは昆虫採集をしていたみたいで、標本を自分で作ったといっていました(笑)。
静かな口調で慎重に言葉を選ぶが、家族の話題には感情がこもった

子どもへのまなざし

Q)そうしますと、自然の豊かな土地で、ご家族とも、とくに意識しないなかで自然と接してこられた、ということなんでしょうかね。少し話を戻しますが、例えばペットにしても、身近な癒やしの対象でありながら、しかし究極的な他者、という面もあるじゃないですか。どこかで人間の感じ方、考え方を浮き彫りにして、それを解体してゆくような。文学的経験としては大切だと思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
A)「砂漠の情熱」を分析して、雌豹がだんだん人間の女性になってゆく、動物と人間の境界が曖昧になってゆくような表現に関心を持ってからは、何かこう、境界の揺らぎというものにより惹かれるようになったんですね。いま研究の対象としているのは、『呪われた子(L' Enfant maudit)』という、バルザックのまた違う作品なんですけど。16世紀頃を時代背景にしているんですが、貴族の家に生まれたエティエンヌという少年が、父親の本当の子どもではないかもしれないということで、母はちょっと病んでしまって。父親はエティエンヌを、城の外の海に面した小屋に幽閉してしまうんですね。そういう孤独な状態だったからなのか、海との対話とか、何か植物との対話、人間と人間でないものと関わりに興味がありまして。心と心の境界を超えた繋がりですとか…、母親が、上の城から子どもに対してうたう歌とか、物理的に境界がありつつもそれをのりこえるような揺らぎとか。そのあたりに関心がありますね。
Q)ちょっと前に「親ガチャ」っていう言葉も流行しましたが、「お前を産むんじゃなかった」とか、「お前は生まれてくるべきじゃなかった」とか、アプリオリによいものとして思われがちだった家族のなかで、子どもが周縁化されている、境界に追いやられている現実がありますよね。うかがっていると、『呪われた子』という作品には、文明の周縁に追いやられ抑圧された子どもが、しかし境界の向こう側の自然とのコミュニケーションを通じて、自分のあり方を維持してゆく面もある。境界の隔絶性が、人を傷つけもするし、鍛えたり活かしたりもする。そういう境界って何なのか、その揺らぎにはどんな意味があるのか、考えさせられます。またそういう意味では、もともとフィリピンにいらっしゃったときに感じられた子どもたちの現実と、いちばん近いところをおやりになっているわけですよね。
A)そうですね、そうなりますね。
Q)そうしますと、山下さんが将来的に目指されているものが近くにありそうですが。先ほど、教育にも関心をお持ちのようでしたが、子どもたちと向きあうような将来の夢に結びつくんでしょうか。
A)はい。職業はまだしっかりとは決めてないんですけど、先ほどお話ししたことと重複してしまうんですが、文学研究のなかで培ったものごとを分析する力、論理的な構想力、思考力、多角的な視点などは、人と人との関わりを理解したり、企業の組織とか一般社会のなかで、具体的な企画ですとかマーケティングですとか、そうしたときに人の心を理解し、情報を整理し論理的にまとめて相手に分かりやすく伝えられるようにする。分かりやすく伝えることが、何か自分のなかですごく重要なことじゃないかなっていうふうには思ってます。
Q)子供さんたちが、自分の将来を考えてゆくときに、文学がいろんな選択肢を考えるための想像力を与えてくれたりする。そういう子供たちが考えるためのいろんな材料を、どう分かりやすく提供できるのか。
A)はい。1年ほどパリに留学していたとき、博物館に何度も訪れて、展示方法なども勉強したんですね。上智でも学芸員課程を履修している最中で、自分が享受した知識を、相手にどう伝えてゆけるかは大事かなと。
Q)子どもたちも含め、一般社会の人びとの想像力を豊かにしてゆくような仕事、文学研究でもできると思いますし、学芸員でも編集者でも、絵本を作るなどいろいろあるかと思いますが、自分にいちばん合ったあり方をまだまだ考えてゆきたいということなんでしょうね。ところで、いまは修士論文を書くためにいろいろな方向へ触手を広げていらっしゃるところだろうと思うのですが、修士へ進学されたときのように、まだまだ深みへ進んでゆきたい、研究を続けたいからドクターへ…という可能性もあるのでしょうか。山下さんの性格としてはいかがですか?
A)自分の性格としては、たくさん情報を集めて、分析するのがすごく性に合っていますね。それが悪く作用してまとまらなくなってしまうこともあるんですが、粘り強く納得ゆくまで調べ続けるっていうのは、文学研究以外でも、自分の性格のひとつかなと思ってるので。研究することは、すごくしっくりきていると思います。
Q)これまでお話をうかがってきまして、子どもへのまなざしにしても動物表象の問題にしても、何か近代的な個に対置されるような存在への注意というか、視線を深くお持ちなのかなという印象があります。そういえばフランス文学って、例えばコクトーの(正確には「子ども」といいきれませんが)『恐るべき子供たち』ですとか、映画でもトリュフォーの『大人はわかってくれない』ですとか、そういう子ども独特の世界というか、爛熟した大人の世界を動揺させ相対化させるような視点の提示が巧みだな、と想い出しました。日本でも、格差拡大や国籍の多様化を通じて、いま子どもたちの世界は激変していますよね。心も体も押し潰されそうな子どもたちがいるのに、大人たちはその現実を充分に把握できていない。フランス文学の研究は、そういうところに大きなヒントを提供できるのかもしれませんね。
A)学部2、3年のときに、上智の「アフリカに学ぶ」というプログラムに参加したんですね。でも、ちょうどコロナの時期だったので、実際に現地に足を運ぶことができず、Zoomを通じてブルキナファソの学生たちと交流したりとか、カメルーン大使館を訪問してお話をうかがう機会はあったんですけど。SNSとか間接的なものではなく、できれば現地へ足を運んで、実地に体験していろいろ考えてみたいと思っています。
Q)そうすると、青年海外協力隊のようなものも、選択肢に入ってくるのでしょうか?
A)はい、関心はありますね!
Q)4月からは、アフリカの7大学と提携した、大きなプログラムも始まりますし3、いろいろな可能性がありますね。では最後に山下さんのほうから、研究や進学が将来の選択肢として考えられてもいないような大学生、高校生へ向けて、研究の素晴らしさを伝えるようなメッセージをいただけますか。
A)はい。文学作品は、ひとりでも読めるものですし、ひとりで娯楽として楽しむということもよさのひとつだと思うのですが、作品の社会的背景ですとか、作家の人生や生涯に触れつつ、学生どうしで意見交換しながら、多角的な視点で読み解いてゆくということは、現実の社会の人間関係のなかでも、すごく大切な経験になってくると思うんですね。研究を通じて、ひととひととの関わりを学んでゆくということは、とても意義深いことなのではないかと思います。
Q)文学って、何か机上の空論というか、閉じられた世界のように考える人がいますけど、コミュニケーション・ツールとしても非常に大切なものですよね。文学がコミュニティを作り、ぼくらを社会のなかへ開いてくれる。そういうところを大切にされているのですね。今日は、貴重なお話をありがとうございました。
A)ありがとうございました。
終始緊張気味だったが、最後にはリラックスした笑顔がのぞいた
  1. ……フランスやベルギーなど、フランス語圏のアート・コミック。略称はB.D.(ベデ)。フランス語で、「描かれた帯」すなわち連続する絵画のことをいう。 ↩︎
  2. ……平成21年度 「くらしと土木の週間」記念行事「土木の日」絵画・写真コンクール表彰式↩︎
  3. ……文部科学省の令和7年度「大学の世界展開力強化事業」(タイプII:アフリカ諸国)に採択された新たな国際交流プログラム、「国際協働を通じてグローバルな環境課題の解決に貢献するリーダー育成事業」。アフリカの7大学と提携し、グローバル・リーダーを育成する。 ↩︎

【ドイツ文学専攻】先を行くひとに、恥ずかしくない自分でありたい。


田中李奈 さん

博士後期課程ドイツ文学専攻



クリスタルとしてのメフィストフェレス

Q)それではですね、まず最初に、田中さんが今やっていらっしゃる研究を、研究にまだあまり関心がないような一般の方々に、魅力的にアピールしていただけますか?
A)はい、分かりました。私が大きなテーマとして扱っているのが、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の『ファウスト(Faust)』という作品の、メフィストフェレス(Mephistopheles)という悪魔のことなんです。とくにそのなかでも、いまは喜劇的側面、その悪魔の持ち合わせる悪い部分ではなくて、むしろコミカルでちょっと皮肉屋な、道化のような側面を扱っています。「ゲーテ」という詩人、「ファウスト」という作品の名前はすごく有名だと思うんですけど、『悲劇ファウスト』というのが正式な名前で、「悲劇」という名称が冠されているんですね。つまり、コミカルなといってもずっと明るいわけではなくて、なかには面白いところもありつつ、基本的には暗く、重たい雰囲気が続いている作品ではあるんです。けれどもそのなかで、悪魔メフィストフェレスというキャラクターの役割がいろいろな作用をもたらしていて、滑稽な場面なども担っているわけです。もともとメフィストフェレスの多様性や、多層性の問題を扱っていきたかったので、いまはそのなかでも、喜劇の側面に注目して扱っている感じです。
Q)いまのテーマに興味・関心が行き着いたのは、何か特別な契機や動機があるんでしょうか?
A)すごく単純な動機なんですけど、学部生のときが、ヴィランズ(villains;悪役)がすごく流行り始めたタイミングなんです。ディズニー・ヴィランズとかがちょうど流行りだして、「ヴィランズ」っていう言葉が、ハロウィンなんかのシーズンになると、私たちのなかでも一般的に使われるようになったタイミング。
Q)『僕のヒーローアカデミア』とかね。
A)そうですね。「ヴィランズってドイツ文学にもあるのかな?」って思いながら、読書はすごく好きだったんですけど、ドイツ文学はそこまで好きになれないでいた時期だったので、ちょうどそのとき『ファウスト』の第一部を必読書として読まされまして。どう面白く読もうかって思っていたときだったので、メフィストってキャラクターがすごく面白いってことに気づいて、ファウストが主人公の作品をメフィスト目線でずっと読んでみるという、ちょっと変わった読み方をして、自分なりの楽しさを見つけていたんです。その後、『ファウスト』からはしばらく離れていたんですが、交換留学にも行って帰ってきて、就活もやって、そろそろ卒論書かなきゃってなったとき、独文ではテーマ決定を3年の12月くらいにやらないといけないんですけど、何がいいかなってなったときに、そういえばあのときヴィランズとしてのメフィストがすごく好きだったから、『ファウスト』で1回書いてみようという風になって、卒論で扱ったのがきっかけです。そこからもう、ずっと続けています。
Q)悪役には、その時代や地域の課題、問題が、たぶん主人公以上に(主人公って感情移入の対象だから、大体空っぽの場合が多いですよね)、さまざま反映されてくると思うんですけれども、そういう意味での興味・関心もあったということでしょうかね。
A)おっしゃるとおりです。もうファウストにしてもメフィストにしても、これまでさまざま論じ尽くされていますから。ファウストは、先生がおっしゃるみたいな主人公ゆえの空っぽさとか、あるいはゲーテ自身の分身であるところとか。メフィストにもゲーテの一面が反映されていたり、コメンテーターとしての一面だったり。ゲーテ自身がかなりいたずらが好きな、ちょっと子供心のある人物でしたし、彼の仲の良かった皮肉屋の友人の一面が入っていたりとか。メフィストは主人公のファウストよりセリフが多いですし、複雑な構造を持つキャラクターになっていますね。
Q)確かにゲーテの時代批評の精神みたいなものは、メフィストの方へ反映されているというか、ほとんど近代の象徴のようにして現れてくる感じですよね。いまの時代、改めて読み直してみると、新自由主義の象徴みたいな印象もあります。そうすると、いまアクチュアルな課題として現れて来ることがらには、メフィストの影が大きく落ちているような気もします。そうすると、やはりいま、『ファウスト』は読みなおすべき価値が大きい作品に思いますね。やはり田中さんの視線も、現代を照射するものとして『ファウスト』へ注がれているわけなのでしょうか。
A)いまは、正直そこまでの余裕はまだないのですが、やはりどうしても興味があるところです。メフィストはいま先生がおっしゃったように、よく「近代の悪魔」といわれるのですが、経済学でメフィストの速さが話題になったり、お金を作りあげているシーンで貨幣を提案したりといったところで、政治・経済の点で取り上げられはするのですが、まだ充分深められている研究者はいないと思います。選挙がタイムリーでもあり、逃げずに引っ張り出して読まなきゃと思って、いろいろと見始めてはいるんですけど。ちょうどドイツのAfD(Alternative für Deutschland)とかがどんどん力を付け始めてしまっている状況からみても、いつかは関連づけていきたいなとは思っています。
Q)なるほど。メフィストがどこかでね、いまもほくそ笑んでいるんじゃないかっていう感じはしますよね。古典ってそういうふうに、時代の移り変わりのなかで、そのたびに新しい意味を、わたしたちに教えてくれているところがあるんでしょうね。先ほどのお話だと、『ファウスト』自体を研究対象にするようになったのは偶然に過ぎないようですが、取り組んでいるうちにやはりこれは出会うべき作品であったという、必然性みたいなものは感じられるようになりましたか?
A)ちょっと自分語りになってしまうんですけど、もともとわたしは、進学先にドイツ文学を選んだ理由が、当時アメリカで中高を卒業して、帰国子女の形で上智へ入って来たんですね。アメリカで一番最後に受けた英語の授業の先生が、古典が好きな、とくにドイツ文学がすごく好きなひとで、最後の授業だから何でも好きなものを読めばいいとおっしゃって、わたしたちに『魔の山(Der Zauberberg)』を勧めてきたんです。英語で『魔の山』なんて、何を言っているのかも全く分からないし、すごく頑張って読んだんですけど、当時は今ほど電子書籍とかもなかった時代だったので、日本語版も入手できず、本当に死ぬ思いをしながら読んだわけです。日本に帰国してから、答え合わせみたいな感じで日本語訳も買ったんですけど、まあ日本語で読んでも難しい。意味が分からなくて、何語で読んでも分からないんだと思って、もうそしたらドイツ語で読むしかないじゃないか、っていう結論に行き着いて(笑)。それでドイツ文学に進学をしたっていう経緯がありまして。でも、入ったら入ったで読まなきゃいけない他の本がたくさんありまして、ドイツ文学やってる方のなかでは、『魔の山』は大学院へ進学してから読むべきというか、高学年で読むものだってされていた本だったので、結局ずっと離れてはいたんですけど。『ファウスト』に取り組んでいるうちに、トーマス・マン(Paul Thomas Mann, 1875-1955)もファウストを書いてる(『ファウストゥス博士(Doktor Faustus)』)っていうことが途中で分かって。ああ、私の始まりはトーマス・マン『魔の山』だったけど、ここでもトーマス・マンがまた出てきた、それでまたトーマス・マンの息子のクラウス・マン(Klaus Mann, 1906-1949)も『メフィスト(Mephisto, Roman einer Karriere)』っていう作品を書いてて、もうどんどん変な繋がりというか、縁というかがすごくあって。で、そのクラウス・マンが『メフィスト』を書いてるときに、グリュントゲンス(Gustaf Gründgens, 1899-1963)という役者さんがメフィストフェレスを変わったやり方で演じたことがきっかけで、メフィストに対する研究が一気に盛りあがって、拡大したんです。それまでメフィストって、どうしてもその悲劇性を壊さないように、すごく重い雰囲気のまま演じられていたんですけど、グリュントゲンスがコミカルなピエロのような演じ方をして、イメージを一新してしまったんです。そこからメフィスト研究も少し活発化したという流れがあったので、わたしは勝手に繋がりというか、〈運命〉を感じつつやっているんです。
Q)文学研究、とくに古典研究はそうなのかもしれませんが、それを研究するなかで自分の核にあるものを再発見していく面がありますよね。そういった意味ではそこにトーマスマンとファウスト表象とか様々現れてくるっていうことなんでしょうかね。最近、ぼくも少し日本のサナトリウム文学を扱っていまして、『魔の山』はちゃんと扱わなきゃいけない、と思っているんです。あの作品のなかにも、ファウスト的な人物、メフィスト的な人物が出てきますよね。その2人は、物語における役割としては、割合に普遍的なのかもしれませんね。
A)先ほどグリュントゲンスの話を出しましたが、それ以降は、もう本当にこの『ファウスト』という作品を自由に扱っていいんだって気づいた人たちが、ファウストとメフィストを同一人物の裏表で扱うとか、本当に鏡越しで演技をしているとか、いろいろな上演の仕方が試みられているんですよね。たぶんそのファウストのなかにもメフィスト、メフィストのなかにもファウストがいて、同時にどちらもゲーテの分身であり、混合されている状態なんですね。だからこそメフィストがクリスタルみたいにいろいろな側面を持ち、同時にひとつに合わせているのかなとは、すごく感じるところなんです。

起源を追って、中世の宗教劇へ、悪魔表象の根源へ

Q)いまのお話が面白かったのでもう少し繋げていきたいんですが、メフィストって、以降の悪魔表象の典型のひとつを担っていくことになったと思うんです。先ほどの、陰鬱なイメージからちょっとトリックスター的なものに変わってくるとか。そういう姿って、例えばスティーブン・キングの『IT』のピエロ:ペニーワイズにも反映されているかもしれないし、恐怖と喜劇性の紙一重なところとも通じてくる。そういう面が発見されていくのは、もしかするとメフィストの読み直しの結果なのかもしれませんし、大きくいえば、サタン表象の系譜に連なるのかもしれない。そうすると文学研究の範疇だけにとどまらず、人類の思想のなかのものすごく大きな、例えば二項対立の歴史とかね、そういう心性史みたいなものの核の部分になってくるような気もするのですが、いかがでしょうか。
A)いまもう私は震えあがるほどびっくりしているんですけど、わたしのやっていることはおっしゃるとおりで、中世の宗教劇における悪魔のあり方の歴史を掘り下げていて、ファウストに関する文学の一連の系譜があるなかで、やっぱりゲーテの『ファウスト』はひとつの画期を作っていて、転換期なんですね。ファウスト作品って、もともとが伝説だったり民衆本だったりするなかで、ゲーテ自身もそれを受け継いでいながら、やっぱりここでメフィストフェレスという悪魔のあり方や多様性が、大きく変わっているんです。では、ゲーテはそれをどこから考え出したのか、それ以前との継承と断絶について調べようと思っていまして。とくにゲーテの時代は、フランス宮廷劇などの影響で、卑猥なものだったり滑稽なものだったり、メフィスト的な行為全般に批判が多い時代でもあったのですが、彼はあえてそういう、16世紀とか15世紀の中世の演劇、とくに民衆劇における、生臭さみたいなのを取り込もうとした。ゲーテは、『ファウスト』の前からその種のことをやってはいたんですが、喜劇に入れようとしていたところが、かなりメフィストにも強い影響を残しているんじゃないかと思って。ゲーテは、ファウストの人形劇を観ていたことも分かっているのですが、それが具体的にどういうものかはまだよく分かっていないんです。一応これであろう、というのはあるんですけど、ちゃんとは分かってないんですね。じゃあそれを実際に読んでみようと、それを引っ張り出して読んだりとか、その人形劇の系譜ってどこから来てるんだろうと調べてみると、中世の宗教劇においては、悪魔が滑稽に扱われていたことがあるんです。悪魔をそう扱うことで、キリスト教の偉大さ、カトリック教会の偉大さを強調していたんですね。滑稽な悪魔、敗北する悪魔っていうのは、その流れから来ているのかな、結局『ファウスト』の第2部でメフィストは敗北することになるので。滑稽な悪魔とメフィストには繋がりがあるようなんですが、ではファウスト劇を詳細にみていくとどうかとか、いまその辺りにいろいろ手を出しまして、メフィストの原型などがどこにあるのか、調べているところなんです。
Q)いまお話を伺っていてなるほどと思ったんですが、『ファウスト』には冥界訪問譚的な要素もありますよね。その種の物語は世界中にありますが、主人公を連れて行く導き手は聖霊であったり獄卒であったり、さまざまです。メフィストもそうだとすれば、教学的な純粋な悪魔というより、やはり民間信仰的な両義的な存在なのだろうと。そうするといよいよこれは、ヨーロッパだけの問題ではなくて、文明史的な課題なんだなと。
A)どんどん広くなってしまって、どうしようってところではあるんですけど(笑)。ゲーテ自身もオリエンタルの文化への興味がすごく強かったようで、とくに『ファウスト』っていう作品自体、彼は60年近くかけて書いていて、当初の『ウアファウスト(Urfaust, 原ファウスト)』、20代の頃に書いたファウストだと、そういう難しいことが一切なくて、本当に単純明快なストーリーなんですけど。それがどんどん歳をとるにつれて、もう60代くらい、58歳とか59歳とか、それぐらいのときに『ファウスト』第1部ができて、第2部は82歳で完成して、翌年83歳で亡くなっているんですね。彼自身は、キリスト教徒でありつつキリスト教徒ではないというか、もう自分の宗教をかなり独特に捉えていたひとではあったのですが、聖書には誰よりも詳しかっといわれています。神父や牧師より詳しい。 だけどその一方で、スピノザ的な考え方を入れたりとか、反神論などをかなり支持していたひとでもあって、もう自分なりの神話を作りあげられてしまう、天地創造を作りあげるくらい、もう彼のなかでの独自の世界観が強かったひとなので。それがたぶん、メフィストがただ単にキリスト教の悪魔というか、いわゆるわたしたちがイメージするような悪魔とはかなり違う存在になっていったのは、必然だったのだろうなと。

ファウストは、先生にすごく似ている

Q)そう考えてみると、ゲーテの人生がそこに反映されている、っていうことなんでしょうかね。田中さんのほうでは、ゲーテや『ファウスト』が、自分のアイデンティティの問題に触れてくる、ということはありますか?
A)全然学術的なことではないのですが、わたしは怠惰な人間なので、『ファウスト』でさえソファーでゆっくりして読んでいたりするんですけど。「怠惰な人生を歩んだら僕は破滅する」っていうファウストのセリフを、ちょっと背筋伸ばして読んだりとか(笑)。そう考えると、わたしにとって、『ファウスト』ってどうしても先生なんですよね。ここは使っていただけるか分からないんですが(笑)、うちの指導教員が、すごくファウストに似てると思っているんですね。具体的などれそれがというより、中井先生をみていると、知識を学ぶということに一切の余念がないというか、何かを知るという行為を当たり前のことのようにされていて、まさに息をするように勉強されている先生だと思っていて。わたしが美化しているだけかもしれないですが、印象的なエピソードがひとつあるんですね。大学院に進学しようとさえも思っていなかった学部2年生のときに、ドイツ文学の必修の授業のなかで、発表を必ずしなきゃいけないっていうのがあって。卒論の中間発表に向けた一種の練習のような授業だったんですけど、文学が少しでも関係していれば何をテーマに選んでもよかったので、本当にもうみんなバラバラで、サッカーが好きなひとはサッカーに関する本を持ってきてやったりとか、ファッションが好きなひとはファッションに関する本を持ってきてやったりとか、いろいろな時代のことをランダムにやっていて。ニーベルンゲンをやるひともいれば、ウェルテルをやるひともいれば、グリムもやるひともいる。そういう王道なところのドイツ文学については、もちろん先生も知識があるわけですけど、そうじゃないサッカーだったりとかファッションだったりとか、先生が必ずコメントをしてくださるんですけど。1回の授業で50人のうち4人ずつが発表をするんですが、毎回、来週はこの誰それがこういうテーマでやりますっていうのを前置きして、先生が週末にレジュメの確認をちょっとされて、授業が2、3日後にあるっていうパターンなんですね。「じゃあ皆さん送ってくださいね、僕はあんまり詳しくないから、むしろ教えてください」っていうふうに仰って、授業が終わるわけです。でもその、週末のみんなのレジュメへのフィードバックが、震えるぐらい詳しいんですよ。みんなが読み切ってない本とかも、先生は読んでたりとか。学部生なのでちょっとずるくて、最初の数ページだけ読んで書いたりとかしてるんですけど、絶対読んでないと分からない真ん中のところのページから指摘があったりとか、っていうことが結構ありまして。で、実際に発表のときになると、それがさらにグレードアップした状態で、いろんな指摘が返ってくるっていうことがあって。もう全員でこう震えあがって、いつ勉強してるんだろうみたいな。学部のときは、先生たちってそういうのが仕事だからとか、結構適当に思ってたりとかしてたんですけど、実際自分がドクターにまで進学してきて、だんだん自分も教える側の立場になって、1コマ・2コマでも死に物狂いでやっている。それも語学の授業で死ぬ思いで準備しているのに、あそこまでやってたこの先生は本当にヤバいひとだって思うくらい。一体どこに時間があって、そんな本を読んでいたんだろうって思うくらい。映画も見ましたとか。この映画見たんですけど、ここはこうで、このひとのこの映画のここの評論みましたか、とかっていうふうに仰っていた、あれは一体何なんだったろうと…。すみません話戻るんですけど、『ファウスト』を読みながら、ファウストが無限に知識を求めて、無限に何かをやろうとしている、もう安楽椅子に座れない状況ってまさにそれじゃないかと思って…っていうので、ファウストは先生なんですもう、わたしにとって。ごめんなさい、長くなっちゃった。
Q)師弟愛…。いやいや、中井先生とはいろんな会議で同席することが多いんですが、いつも前もっていろいろな資料に当たってきていらっしゃるし、質問も納得がいくまで細かくされますからね。何ごとにもそうなんでしょうね。
A)本当にあの、もうたまに「もういいのに」って思っちゃうくらいのときが。すごく生意気なことですけど。修論の中間報告なんかでも、誰よりも一生懸命聞いていらっしゃるんですよね。本当にもう、わたしが怒りを覚えるぐらいに準備ができてない発表とかもあるんですけど、そんな報告も誰よりも一生懸命聞いていらっしゃって、他のひとはたぶん全員飽きてるのに、中井先生ひとりだけ目がキラッキラで、何かもう楽しくて仕方ないというか、早く質問したくて仕方ないという感じなので。一生真似できないって思いながら、もう一方でできない憧れもありますよね。最近はときどき、指導を受けている院生がわたししかいないので、「ちょっと疲れてて」とか「ちょっと忙しくて大変で」とかっていってくださるんですけど、先生はそれも愚痴だと思っているみたいで、「ごめんなさい、ちょっと愚痴ってしまいました」ってなってるんですけど、全然愚痴でもなんでもないですよね。本当にすごい先生です。
Q)そういうひとが師匠だと大変ですね、怠けられないからね(笑)。
A)でも本当にすごい、私がもともと怠け癖のある人間なので、むしろ先生から来るメールで、ヤバいヤバいと思いながら準備を始めたりとか、結構追い込むことができるって自分の性格も分かっているので。そういう点でも、すごく私にとってありがたい先生です。
話し出すと止まらない、さすがの会話力。

超えられないけど、追いかけたい

Q)なるほどね。ちょうど、田中さんの学問的なアイデンティティの方向に話が進んできたんですが、大学院進学の話を伺う前に、語学留学のことを。ソウル大学に行かれてますよね? それはどういう関心で?
A)ソウル大学はですね、わたしは母親が韓国人で、ハーフなんです。それで、一度も韓国に住んだことがなかったので、一度生活してみたいなってすごく思っていて。中高アメリカで生活していたときに、韓国人が周りに多くいた状況ではあったので、韓国語がすごく流暢になって、日本に帰ってきて怒られたんですけど(笑)。それもあって、韓国っていう国に対する興味はもちろん、母がいた国で一度は住んでみたいって思っていたので。
Q)どこかで、オリジンを探っていくというか?
A)それも多分あったんだと思います。その当時はそこまで深く考えずに、とにかく1回韓国で住みたいっていう軽い気持ちだったんですけど、自分の母がどんな環境で育ったのかは、やっぱり知りたいとは思っていたので。
Q)なるほど。そもそもが多言語的な環境というか、多和田葉子的な姿勢だったんですかね。
A)当時ソウル大学でお世話になっていた先生が、ちょうどメフィストに関して論文を書かれたりもしていたので。わたしが受けた授業は、「カフカにおける女性観」というタイトルだったんですけど、ほとんどゼミでしたので、先生が教えてくださるっていうよりは、学生たちがどんどん議論しあうタイプの。学部の授業だったんですけど、そこで得た考え方とか、学んだことっていうのは、やっぱりわたしにとってすごく新しくて。韓国からドイツという繋がりは、そこにある気がします。
Q)そうなんですね。いまカフカ(Franz Kafka, 1883-1924)って伺って、そういえばパク・チャヌクの映画ってカフカ的だよなとか、ふと思ったりしたんですけど。韓国とドイツ文学って、何か通じるところがあるんですかね。
A)韓国人、カフカ好きだと思います。カフカとかヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962)とか大好きですね。それこそ、BTSがすごく流行るきっかけになった「花様年華」とか、ミュージック・ビデオとかみてみると、もうどこからどうみても、ヘッセの『デミアン(Demian: Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend)』なんですね。もう『デミアン』の一節を読んでたりとか、Kポップとか韓流ドラマとかでも、ドイツ文学にルーツがあるところが多いんですよ。相性がいいのかなとか、ちょっと思ったり。日本だとあんまりファウストとかがドラマ化されることはありませんけど、韓国だと1回、トーマス・マンの『ファウスト』がドラマ化されているんですね、あまり人気はなかったみたいですけど。でも、メフィストっていう作品を女性が演じて、ミュージカル界隈で出てきたりとか。韓国の芸能界とドイツ文学は、切っても切れない関係にある感じですね。
Q)日本にいるからでしょうけど、韓国とドイツの比較は新鮮に感じますね。そういう多文化的な視点が、ドイツ文学を読むオリジナリティになっているのでしょうね。ところでいま、韓国での経験が院への進学のきっかけになったとお話しされていましたが、一般の認識からすると、文系の院への進学って勇気のいるところだと思うんですよね。そのあたり、もう少し具体的にうかがえますか?
A)韓国の学生たちが、大学院への進学を当然のように考えていた、ということがひとつでしょうか。たぶんソウル大学だったということも大きいのでしょうが、逆になぜ大学院に進学しないの?とか、ダブルメジャーが普通だったりとか。文学をやりつつ経済学をやっているとか、それがむしろ普通だっていう学生たちがすごく多かったですし。院進が、日本にいるときほど変なことではなかったんですよ。わたしの韓国人の親戚も、大学院を出ているひとがほとんどでしたし。当然うちの母もそういう考え方でしたので、まあ修士までは取っておきたいよねっていう話はされていて。けれどもわたしはその後、帰国して就活の波に流されてしまったので、周りが「就活がんばらなきゃ」「なんでやってないの?」「早くエントリーしないと、一緒にエントリーしよう!」って、流されるままエントリーをし、就活を始め…っていうところで自己分析をやりながら。分析するのは多分もともと好きなタイプだったので、自己分析そのものがすごく楽しくて、むしろなんかそういう意味でちゃっちゃか進めることあできて、就活が割とうまくいってしまったんですね(笑)。ドイツ系の車の会社に内定もいただいたりして、外資系企業だからか、日本の会社みたいにテストというより、面接や自分語りが評価されて。ちょうど韓国でそういうことをたくさんやって、帰ってきたタイミングでもあったので、できてしまったというか。で、まあいろいろ終わって、夏前には就活もすべて終わって、もうやることもないし旅行しようかと思って、久々にアメリカに戻ったりとかして。けれども海外の親戚のところを回っていると、みんなそこで院進しているわけですよ。みんなお勉強してて、みんな研究して分析してっていうのをやっていて。それをみたときに、なんでわたし院進を考えなかったんだろう、なんであんな流れるように就活してしまったんだろうって、ふと気づいてしまって。で、最初はそのままもう就活して、ある程度お金を貯めてから大学院に行こうって思っていたんですけど、 いまちょうどカナダにいる親戚が、神学部で牧師になるために勉強をしていて、もう死に物狂いで。もともとサラリーマンを経験してから牧師になることを目指したので、死に物狂いで勉強をしていて、そこで「1歳でも早く、若いときに勉強した方がいい」っていわれたのが、なんかものすごく響いて。それでもう泣いて決定、「じゃあ進学します!」っていって(笑)、残ったというのが一応。もう後悔する前に行っちゃおうと思って、親をどうにかこうにか説得して、院進してめっちゃバイトするから行かせてほしいっていって。勉強時間が減るのは嫌だったので、TAとか学内でできるだけのバイトをやりまくって、どうにか院進させてもらって。それが修士のときです。
2回目の、博士の院進のときはコロナだったので、もうずっとオンデマンドで、オンラインで、やり切れていない感がどうしてもあったんですね。でも、オンライン授業ってわたしには合っていて、イヤホン越しにダイレクトに先生方の指摘が入ってくるじゃないですか。より集中できるんですよね、家庭教師以上の家庭教師みたいな。もうイヤホンつけたらそこに先生がいる、みたいな状況で勉強を始めたので、ASMR(autonomous sensory meridian response)みたいな感じでずっと聞いてる状態だったので、洗脳ですよね、もう続ける以外の選択肢がなくて。そしたら、なんだかんだここまで来てしまった。
Q)なるほど。最初の進学のときに、狭い日本の「常識」を客観化できる材料がたくさんあったということですかね。特殊な日本を、当たり前とは思わなかったのが大事なんでしょう。
A)あ、でも新飼さん1(新飼早樹子氏)の影響も絶対あります。
Q)あ、そうですか。それは一応、教え子の話として(笑)、伺っておきたいです。
A)新飼さん、わたし本当に衝撃だったんですよ。ソウル大学で初めて、木村先生っていう第二外国語を担当されている先生に、誰も知らない状況だったので紹介していただいて。でも本当にめげそうになったタイミングで連絡したら、あんな忙しいスケジュールのなかで時間を空けてくださって、いつもご飯に呼んでくださったんですけど。わたし、その頃CiNiiを知らなかったんですよ(笑)。学部3年生だったんですけど、2年生のときまでは書籍で調べるっていうところをやっていて。論文が検索できるっていうことは教わっているはずなのに、あんまりよく理解してなくて、使ってなかったので、分かっていなくて。レポートか何かの書き方が分からなくて連絡をしたと思うんですが、「CiNii知らないの?」ってすごく怒られたんです。怒られたっていうか、驚かれた(笑)。で、Google ScholarとCiNiiの使い方を教わって、研究はこうやってやるんだよっていうイロハを、初めて教わったのがそのときだったんですよ。ダイレクトに図書館に連れていってくださって、ここでこうやって検索するんだよ、韓国語の論文はここでこうやってやるんだよって、全部教えてくださって。なんかもう、すごい、これが大学の授業なんだっていうことを、そのときに初めて私は学んで。ちょうど同時進行で、韓国の学生たちはもうそんなのは1、2年でやってるから。もう1段上のレベルの、もう全然関係ない昔の哲学書とか持ってきて、 ここと似てる描写があるから比較してみましたとか、バンバンやれちゃう、できちゃうのを目の当たりにして、どんどんこう、研究ってこういうことなんだというか、どんどん分かっていくことにはなってくるんですけど。ですから、きっかけはもう本当にあのときの新飼さんなんです。韓国人の先輩のいいところは、誰よりも親身になってくれる。日本の先輩ももちろん優しいんですが、距離感が違うんですね。そういう意味で新飼さんは、どちらかというと韓国のお姉ちゃんっていう距離感なんですね。
Q)新飼さんは日本に帰ってくると、異国にいる気がするっていってますからね。
A)わたしも、いつ帰るんですか韓国にっていっちゃいました(笑)。 なので、わたしのなかでは絶対追い着けないだろうなっていう二重の柱みたいなもの、それが新飼さんとうちの中井先生、というのはたぶんあります。新飼さんも気持ち悪いぐらい努力をするタイプで、 あるときチャットで連絡すると、いま中国語の試験を急にやらなきゃいけなくなってるから、辞書を片っ端から覚えてるんだって、名詞以外はとりあえず全部頭に叩き込んでるっていう話で。その前には韓国語を覚えるために、コンパクト辞書を頭に叩き込んでいるっていっていたので、何やってるんだろうこの先輩って。超えられないけど追いかけたい、中井先生とちょっと系統が似てるんですよね、わたしのなかでは。
Q)中井先生と新飼さんのハイブリッドとして。
A)いやもう、ふたりに恥ずかしくないように生きていかなきゃいけないじゃないですか。アドバイスをくださる分やっぱりその分はお返しをしなきゃいけないなと思って。中井先生は2週間に1回とか読書会をやってくださるので、もう全部バレてるんですけど、新飼さんには1年に1回くらいしか会えないので。必ずいい報告を持っていけるようにストック貯めて、相談もしたいことが山積みだけど報告してから相談みたいな。これはやりましたよ先輩!っていうのは、いえるようにはしたいなと思って。
Q)師の力は大きいなあ!

ああ分かったって顔が、すごく好きで

Q)さて、いまはもう博士後期に進学されているので、具体的に将来をどうするのか、いろいろ考えなきゃいけない時期になっているかと思うんですけど、具体的に何かあるでしょうか?
A)まず最初に博士論文を書かなければ、というのがいちばんのところですね。来年も一応在籍するこを決めたので、博士5年生までは残ることにしたんですけど、そのあと3年の猶予で書かなきゃいけないので。あと4年のうちに博士論文を早く準備して、中井先生が納得してくれないと始まらないので(笑)、中井先生を満足させられる「やつ」を準備しなければっていうのが、一番の難関だなと思っています…というのが、いちばん近いところの未来。
Q)中井先生は、直接の教え子で、ドクターって出していらっしゃいましたっけ?
A)いないです、私が初めてで。ゲーテがあまり人気がないので、この後どうなるか分からないんですけど。もうここ数年はわたしがメインで。責任が大きいと思いながら、でも本当に、独文界隈でどこに行っても、「指導教員は上智の中井先生です」っていうと、「あの先生のもとで書くんだったらもう何の問題もない」っていう、もう絶対の信頼みたいな、「安心」「安全」「信頼」みたいなのが、業界ではすごい先生なので(笑)、もう本当にちゃんとしないとっていうところが、いまいちばんの大きな目標ではありつつ。それから、ドイツ語教員としてのあり方も、最近先輩たちとかをみていて、いろいろ始めなきゃなと思ってるので。ドイツ語教員養成講座っていうのを、独文学会でやっていたんですけど、そういうのもちょっと参加したりとか。もともと外国語をいくつか話すので、外国語教育にもすごく興味はあったので、やらなきゃいけない。将来のいちばん大きな夢は「教授になりたい」、それが目標なんですけど。そうなるためのステップとして、必ず第二外国語のドイツ語の授業とかって教えなきゃいけないときに、それを嫌々やるとか適当にやるよりは、もう楽しんでやりたいと思って。学生たちと話すのがすごく好きなので、それもあって、このなかで1人でもドイツ文学に興味を持ってくれたらいいなって思いつつ、どうやったらじゃあうまくいくんだろうとか、何がいい方法なんだろうって考えたりしながら、いろいろな新しいことをチャレンジして、共有していけるひとにはなりたいなと思っています。
Q)ボランティアでも、ドイツ語の教育とか、なさっているんでしたね?
A)はい、市民講座などで。浦安市でもやったりとか、今年1年ボランティアでずっとやっていて、来年からは講座に立ちあげませんか?ということで、講座にできることになったんですけど。外国語を教えているときに生徒さんから、「ここ似てるんですね」とか、「ここってこうなんですね」とか、逆に「この言語だとこうですけど、ここ違うんですね」とか、ああ分かったって、顔がすごく好きで。面白そうに、「パズルみたいですね」っていうドイツ語の気づきに、学んでいるひとたちがたどり着いてくれるのが、すごく好きなんですね。なのでそこを、もっといろいろ教えていきたいなと思っています。
Q)上智でも地球市民講座とか、今後語学も拡充していくと思うんですが、できればやってみたいですか?
A)そうですね。やっぱり上智大学でずっと学んできているので、いろいろなイベントや、そういう講座をやっているのをみるたびに、 いつかはそこに立てるひとになりたいなっていう気持ちはずっとあって、そういう人間に早くならなきゃと思っています。
Q)さて、1時間ずっとお話を伺ってきましたが、ドイツをどう思っていらっしゃるかは、充分お訊ねしていませんでした。最後にドイツとの関わりというか、その辺りはいかがでしょう。
A)実はわたし、ドイツに行ったのが最近のことすぎて、あんまり過去のこととしては出てこなくて、言及できなかったところがあるんですけど。もともと学部では韓国に留学して、修士では行くはずだったケルン大学がコロナでいけなくなって、そのあと博士で、やっと念願叶って、初めてのドイツ、初めてのヨーロッパだったんです。フライブルク大学へ行きました。またこのフライブルクも、フランスとスイスとドイツの、3国の国境にある街なので、すごく多文化に溢れている。フランス語も通じるし、ドイツ語も通じるし、ちょっとスイスの方言もあるしっていう、ごちゃごちゃしている状況でいたので。それほどドイツっぽくない、そこで1年間学んで。フライブルク大学は、文学や哲学に強いところなので、最先端のニーチェ研究の話を聞けたりとか、どちらかというとゲーテが強いというよりは、ゲーテ時代からロマン派にかけてのところを専門にされている先生のもとで勉強していて。『ファウスト』という作品の詳細よりは、その外観や背景、この時代ってこういうものがあって、こういう流れで…ということを、もう一度見直していったりとか。あとは、文学研究の最新のあり方、理論や方法論に触れました。日本のドイツ文学の雰囲気、とくに上智はその傾向が強い気がするんですけど、けっこうテクスト中心主義なんですね。でもフライブルクだと、むしろAIを積極的に使ってみようとか、デジタルで計算をしてみよう、いくつのワードが使われてるから、なぜこのワードが重要なのかをAIに計算させるとか、そういう新しい方法を試している先生がいらっしゃったりとか。
Q)N-gram 分析とかね。
A)そうです。文学って、テクストを逐語的に読解していくだけじゃなくて、こういう方法もあるんだ、でもわたしはやっぱりテクストを読みたい派なのかな、合っているのかなって気づく場所でもありました。あとは、文学理論がどれほど大事なのか。あちらの先生には、「いま君が書いてる論文って、こういうテクスト論で書いてるけど、これをじゃあ脱テクスト論として論じたらどうなるか、次までに考えてきて」とかっていわれたりしまして、脱テクスト論を調べまくるみたいな。
Q)確かに、日本も理論はやってはいるけど、むしろ実証主義的に流れていくっていうんでしょうかね。非常に伝統的な形での、自分と文学との対話みたいなところに流れていくっていうか。そういう傾向が非常に強いので、認識論が自覚されていない部分がありますよね。田中さんはドイツで学んで、そのあたりを意識し、自分にとって最適な方法・理論を選択できるようになったと。
A)あとはもうドイツ(フライブルク)というと、フランスより環境都市、グリーンシティっていうのが強いところではあったので。トラム(路面電車)とか自転車とか、みんな自転車で通勤・通学することが当然っていう、ああいう雰囲気はすごく新しい部分でしたし。ちょうどSDGsが日本で普及し始めたタイミングだったのもあって、日本に帰ってきてからもいろいろ考えるきっかけになりました。
Q)今日お話を伺っていて、外国文学をやっていらっしゃる方って、ずっとドイツならドイツ、フランスならフランスの文化に埋没して、そのなかでアイデンティティを形成された方なのかなとかって思っていたんですが。田中さんの場合は、複数の軸足があって、それぞれに完全に埋没するわけではなく、それぞれの軸足がお互いを相対化し客観化し、魅力であったり問題であったりを認識させている。そのすべてが自分を再構成するための、自分が世界と向きあうための、糧になっているところが、すごく新しい世代の研究者のあり方だなと感心しました。あまりそちらへ持っていかなくてもいいのですが、ある意味では上智的というか。
A)でも、そうなりたいなとは思います。自分が就活するときの軸足にしていたのが、グローバルな人材になりたい。一箇所に留まらない会社がいいということは、ずっと思っていた部分でもあって。自己分析をして辿り着いたところが、もう世界中飛び回りたいなっていうところだったので、多分それはいまの自分にもずっとあるのかなと思います。
Q)でもそういう意味では、上智じゃなくてもよかったんじゃないですか。
A)確かに、それこそいろいろな大学をみましたし、当時日本の大学だけじゃなくて、アメリカの大学とか、カナダの大学とか、ドイツの大学とか、いろいろ確認したんですけど、そこはわたし、怠惰なので。安全な道を行くひとなので。
Q)上智の居心地がよかったっていうことなんですかね。
A)そうですね。その当時の先生が好きだったっていうのもありますね。当時、高橋明彦先生が、わたしの卒論の指導教員だったので、 ずっと先生に、「そんなに研究好きなら残ればいいじゃん」といわれていまして。高橋先生はもともと怖い先生だったらしいのですが、わたしたちの頃にはもう、優しくて軽い先生になっていらっしゃって(笑)。「仏の高橋」って呼ばれていたくらいだったので。わたしもそれでそのまま、騙されたかのように残ってしまって、そしたら先生は定年でお辞めになってしまって。そのあと中井先生に引き継がれたのですが、先生もそのときはわたしのことをよくご存知なかったので(笑)、なんかちょっと騙されたかもしれないです。そうして否応なく上智に在籍したんですけど、修士に上がってからは、中井先生も当然のように、このまま上智に残るものだと思っていらっしゃって、結果としてそのままに…。
Q)いえいえ、ひととの繋がりを大事にされてきたってことではないでしょうか。先ほども、中井先生と新飼さんに恥ずかしくないようにって仰っていましたけど、前を行くひとたちとの関係が、田中さんの学問を作ってきたということなんでしょうね。
グローバルな語学力、トランスナショナルな価値観、そして伝統的なものへの拘りが、新たなものの見方を生み出す

東アジアおけるメフィスト表象

Q)すみません、最後に蛇足のようになってしまうのですが、『ファウスト』って日本のサブカルチャーにも非常に大きな影響を与えてますよね。水木しげるもメフィストを描いているし、手塚治虫は最後に『ネオ・ファウスト』を描いている。そのあたりは分析したいと思われませんか?
A)そうですね、とくに手塚治虫作品は、メフィストを女性として描いていますよね。なんていうんでしょう、日本人らしい「距離の近さ」みたいなものが出ている気がします。他の海外のマンガ的作品では、どうしてもファウストもメフィストも、重たくなっちゃうんですよね。他にも日本では、近年の『青のエクソシスト』とか、メフィストってキャラが出てくるんですけど、絶対原作読んでいないだろうなという描き方で。それでも、どこかにゲーテのメフィスト像と、重なってくるところはあるんですよね。あと『FGO(Fate Grand Order)』とかにも、よくドイツ人に「メフィスト出てるよね」っていわれるんですけど、新しいキャラクターなんだけれどもゲーテのメフィスト像を嗣いでいる、そういう作り方が、ドイツ人にとっては新しいみたいで。ドイツ人は高校で『ファウスト』を読まなきゃいけない場合も多いので、日本では原作をちゃんと知らないからできるのかなと、結構話題になったりします。いつかそういう、日本のサブカルのメフィスト表象も研究してみたいんですけど、将来的には。韓国で受容されるメフィストはまた違って、もうちょっと政治的な要素が強かったりするので、その辺りの東アジアにおけるメフィスト受容なんて面白いんじゃないかって。いつできるか分からないですけど。
Q)その本はぜひ読みたいですね。今日本当にいろいろ勉強させていただきました。長い時間ありがとうございました。
A)ありがとうございました。
  1. ……2014年度、上智大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了、ソウル大学で博士の学位を取得、現神奈川大学国際日本学部助教。こちらを参照。 ↩︎

【英米文学専攻】ディストピアの「救いのなさに救われる」。


杉田真衣 さん

博士前期課程英米文学専攻



カズオ・イシグロの難解さをひもとく

Q)今日はお忙しいところありがとうございます。まずは杉田さんのご研究を、一般の方々や、とくにこれから大学院に進学して勉強してみたいと思っている人たちに対して、魅力的にアピールしていただけますか。
A)わかりました。わたしは、カズオ・イシグロという作家の作品について研究しています。卒業論文では、『わたしを離さないで』(以下『わたし』と略記)という作品をとりあげましたが、修士論文では、『遠い山なみの光』(以下『山なみ』と略記)に取り組みたいと思っています。
Q)両方とも映像化されている作品ですね。
A)そうですね。ちょうど今年、『山なみ』の映画が公開されていますね。わたしがイシグロに出会ったきっかけは、英文学科の松本(朗)先生の授業だったんです。イシグロはとにかく、人間の記憶のあり方とか。人間がどういうふうに、意識的または無意識的に記憶を隠蔽したり改竄したりするのか、そういうことにかなり深く切り込む作家で。わたしは大学に入るまで、そういうことを意識したことが一切なかったので、人間の記憶ってここまで複雑なものなのか、自分でも意識せずに忘れようとしていたり、改竄してしまったりすることがあるんだと知って。いままで知らなかった自分の内面を言語化して知っていくみたいな、そういう楽しさを覚えたんです。
Q)そういう体験を、一般の方々にもぜひしていただきたい、ということなんでしょうか。
A)そうですね。一般の方が読むと、ちょっと難しくて何を言っているのか分からないという作家でもあるので。わたしは、イシグロがどういう作家でどういう手法を使ってどういうことをしたいのか、それをある程度知っている状態で読んだので、「なるほどこういうことか」と読んでいるうちに分かってきたり、「ここに何かイシグロの言いたいポイントが詰まっているんじゃないか」と自分で察知できるようになってきているんですけど。個人的には、とくに『わたし』は、一般の方でも引き込まれるところがかなり多い作品かなと思っています。『遠い山なみの光』はかなり難解で、表層の部分だけを掬っていくような描き方をするので複雑なんですけど。『わたし』のほうは、主人公がすごく歪んだディストピア社会にいるのに、その社会の本質に気づいておらず、自分は人間性を持っている普通の存在だと信じ込んでいる状態ではありますが、恋愛とか友情とかいままでの人生で起きたことを情緒溢れる語り口で語る部分は、リアリティに溢れていて一般の人にも刺さるんじゃないかなって思っています。
Q)実はぼくも歴史学者で、歴史の改竄や集合的忘却の研究をずっとしているので、カズオ・イシグロの問題意識は非常によく理解できるところなんです。やっぱりいま、例えばプーチンの歴史政治にしても、集合的な歴史を故意に歪曲・喧伝することによって、一般に信じさせるようなことが行われていますし、ポスト・トゥルースの社会のなかで、SNSなどでも毎日その種の言説が繰り返されているわけですよね。そういう意味ではカズオ・イシグロの作品は、いまこそ現代への警鐘として読まれる価値があるますよね。しかし一方で、やっぱりいまお話しされたように、一般の方が読むには難しいところがあるとすれば、その意義や重要性をどう社会へ分かりやすく届けるかも、もしかしたら研究者の大切な仕事かもしれないですよね。杉田さんはアカデミアに足を踏み入れたばかりだと思うのですが、最終的にどうでしょうか、将来目指されているところはありますか?
A)難しくて手を出せないという方を減らしたいな、とは思います。例えばNHK教育の『100分 de 名著』などをみると、すごく難しそうな本でも手に取ってみようかなと思える教え方をされているので、そうした取り組みができる研究者になりたいですね。

ひとの思考のオリジンを辿る

Q)なるほど。学部のときには、「イギリス文学と教育」のような学部生シンポジウムに登壇されたと伺っていますが、やはり教育にも関心をお持ちなんですね。
A)そうですね。わたしは、「どうしてひとはそういうふうに考えるようになったんだろう」とか、「どうしてそういう思想を持つようになったんだろう」ということについて考えるのがすごく好きで、家庭環境だったり学校の教育だったり、何かしらオリジンみたいなものが絶対にあると思うので、そこを理論化して説明できるようになりたいなとずっと思っているんです。卒論も、最終的な結論は別のところにあったんですけれども、第1章では教育に目を向けていて、そこからスタートしたところがありまして。わたしはそもそも卒論で、『わたし』とジョージ・オーエル『1984』を比較して書きたいなと思っていたんです。そのきっかけは、『わたし』読んでいるとき、「どうして主人公は、死に対する恐怖を一切感じていなくて、すごく呑気でいられるんだろう」という理解できなさを感じ、その原因を辿っていったことです。そこから、ヘールシャムというキャシーが育った寄宿学校の教育に、何か歪みがあるんじゃないかと思えてくるんですが、キャシーは自分が置かれているディストピア社会の本質を見抜けないように洗脳されている語り手なんですね。でもわたしは、『わたし』を読む前にオーエルの『1984』を読んでいまして。「『1984』の主人公のウィンストン・スミスは、キャシーとは違い、どうしてディストピア社会に抵抗しようって思えたんだろう」って、そのあたりの差が見えてきたわけですよ。それで、もう1回『1984』を読み返してみたら、ウィンストンは過去に、母親や幼い妹と無理やり引き離された記憶があるんですね、それを夢のなかで反芻する描写があって。そういうふうにディストピアに至る前の、人間が自然に情緒的関係を築いていた、過去の時代の何かしら片鱗みたいなものが自分のなかにあると、それと比較して現状のディストピア性が見えてくるじゃないですか、やっぱりこれおかしいって思えるので。でも、キャシーの場合はそうじゃない。じゃあなんでだろうって考えていくと、彼女は生まれた時からディストピアしか知らないから、こうなってしまったんじゃないかと。そういうふうに人の思想とか価値観、考え方の源泉みたいなところを辿っていく楽しさを、常に持っているんです。
Q)比較対象として、自分のなかにあるオリジンの欠片というか、そういうものがあるかないかで生き方が変わってくる。しかし、何もないひとは従順なだけなのかというと、多分そうではないだろうと思うんですよね。そういう抵抗がどう生まれてくるのか、すごくいま大事なところだと思いますね。

ディストピアのなかの希望

Q)アトウッドの『侍女の物語』にしても、貴志祐介の『新世界より』にしても、『わたし』とよく似た、歴史と記憶に関わるディストピアの物語が、ある時期から内外で多く発表されているように思います。ポスト・トゥルースの時代を反映しているのでしょうが、しかし絶望ばかりではなくて、そのなかに何らかの希望を見出せるようにしている気がしますね。
A)そうですね。加藤めぐみさんが、『侍女の物語』をポスト・ヒューマンの文脈で説明されているのですが、『わたし』をポスト〜といいきれるのかは少し疑問なんですね。やっぱりディストピア小説が成り立つのは、何か人間のなかにディストピアと相容れない人間性の本源みたいなもの、捨てられないものがあるからなんだろうと思うんです。『わたし』に関していいますと、人間的な部分と非人間的な部分を行き来している、あわいに立つような存在=クローンについて描いているのですが、けっこうその人間的な語りが前面に押し出されているように感じるんですよ。だから一般の方も、一応最後までは読み切れる人が多いはず、なんかちょっと面白いし共感できるところもあるしっていう。でもやっぱり根底のところにはディストピアから逃げ出そうとしない、なんかちょっと人間的とはいいきれないような、受動性とでもいうべきものもある。一方で先生が仰ったように、ディストピアに完全には屈服しない、無意識的にでも抵抗してしまう本能のようなものも、部分的に描かれている。作家や作品によって違うと思うのですが、その対比性がディストピアの特質を浮き彫りにしていくので、大事だなと思います。
Q)『1984』なんかもそうだと思うんですが、ディストピアに対して最終的に革命のようなものが起こるという、ある意味ではマルクス主義的な物語の作り方と、結局ディストピアを受け容れていかざるをえない、そのなかでしか生きていけないという人びとの弱さをどう考えるのかという深さ、慈しみがあるように思うんですね。例えば戦争や震災の後に、「忘れるな」の大合唱が響いてきますけど、本当に辛い体験をしたひとは忘れなきゃ生きていけない、正対したら生きていけないところがある。とすれば「忘却」は優しく大切なものだし、かといって社会全体が忘れてしまえば同じようなことが繰り返されるかもしれない。いちばん弱い人びとが生存していくためには最低限何が必要なのか、何を許して何を許しちゃいけないのかということを、最終的に問おうとしているのかなという感じがするんですよね。
A)まさにそうですね。弱い立場のひとに寄り添うと口でいったら簡単ですけど、その方法をちゃんと理解しているひとってなかなかいないんだろうなと思って。わたしも大学に入ってそういうことを学んで、 例えば忘れるだとか、ある程度嘘をついてでも嘘混じりでも人に話すとか、それで自分の記憶をある程度改竄していくとか、そういうことが必ずしも悪いことじゃなくて、むしろそういうトラウマ的な出来事と自分との折り合いをつけていくみたいな、そういうことをイシグロはかなり中心的に描いていると思うので。『山なみ』もそういう小説で、主人公=語り手の悦子が自分の都合のいい記憶だけ引き出して、都合の悪い部分はちょっとねじ曲げたりとか、そういう語りをするんですけど。映画のほうもちょっと観たんですが、最後のほうとかかなりホラーっぽい演出が多くて、ちょっと怖いな、暗いなって思わせるような描写が多いんです。でもわたしは、その暗い過程を踏み台に、未来への一歩を踏み出すっていう描き方を、イシグロはしているんだろうなと思って。総合的に見たらすごく暗い小説であるように見えるんですけど、でもイシグロは、むしろ希望の一歩として描いてるんだろうなと思います。
文学研究科委員長室にて。少し緊張気味に話が始まる。

主観は意外と理論的に説明できる

Q)そもそも杉田さんが、大学院に進んで研究を続けていこうと思われたのは、ちょっと自己物語化になっちゃうかもしれないのですが、どういうところに画期があったのでしょう?
A)もともと中学・高校のときとかは、飛び抜けて勉強ができたというわけでもなく、むしろ劣等感しかなくて。周りはなんでこんなにできるんだろうとか、自分の嫌な部分ばっかり見えていました。別に高校教育を否定しているわけではないんですが、やっぱりどうしても受験のための勉強になってしまうじゃないですか。短期記憶ですぱすぱ効率よく覚えて、それをいかに使って点数を取っていくか。自分はそういう勉強法にずっと違和感を覚えていて、もっと長期記憶的に勉強したいなとか、世界史の用語集を読むよりも世界史の史料集を読んでいるほうが好きとか、もうちょっと深く物事を考えるほうが好きだし向いてるなとずっと感じていて、その欲求が満たされたのが大学だったんです。大学に入って、1時間が100分の長い授業でじっくりと作品を扱ったりとか、そういうところが私にはまったというのもひとつですが、他にも先生方が素晴らしすぎて。本当に先生方の授業で人生変わったなって、いつも思うんです。
Q)こちらのインタビューに出てくださる方は大体そう絶賛されるので、僕はつまんないなと思っているんですけど(笑)、本当なんですね。
A)気を遣っているわけではないんです(笑)。 すごくよく覚えているのが、大学に入って1回目の授業。初めて文学の講義を受けたときに、いままで文学を勉強したことがなかったので、読書感想文みたいなリアクション・ペーパーを提出したんです。ここが面白かったとか、そういうことしか書けなかったんですけど、評価が返ってきて、確かCとかだったんですよ。何でだろうと思って。本の解釈の仕方なんてひとそれぞれ違うので、どうやって評価しているんだろうと疑問に思っていたら、先生がその次の授業でフィードバックをしてくださって。文学の分析の仕方について、初歩の初歩を見せてくださったんですが、それが意外と科学的だったところが、何だか刺さってしまったんです。「面白かった」の一言だと、自分の主観に過ぎないじゃないですか。主観を超えて、そこからどう理論的に説明して他人に伝えられるか。まずはその自分の主観がどこから生まれたのかについて、テキストの細かいエビデンス、データを蓄積していって、問題の語句や表現が一箇所だけではなく、他にもいろいろなところに散りばめられているのを確認するとか、作家自身の思想を調べてみるとか。他にも、一人称語りだったら、訛りから人物の階級が読み取れたり、話題の選び方から思想が見えてきたり。エビデンスって、調べたら調べるだけ出てくるので、そういう作業をして、自分の主観を理論的に組み換えていく、他人に説得的に説明できるようにするっていう、そういう文学分析の仕方を教えてくださったんですね。もう目が覚めたというか、主観って意外と理論化できるんだって。自分のなかでいままで閉じ込めていた感情が、意外とひとと共有できるんだっていう可能性を知って、目が覚めた感じがしました。
Q)いいお話ですね! フィードバックって、やっぱりちゃんとしなきゃいけないんだ…。杉田さんが、中学とか高校のときにもやもやしていたものって、自分が思っていることや考えていること、それが正確にひとに伝わらなかったり、あるいは自分自身でそれをどう表現するのか、言葉とか方法とかがあまり分からない。そういうところで自分自身を表現できないし、相手にも伝わらないしで、いろいろもどかしい思いをずっとしていたっていうことなんですかね。
A)ずっと孤独感があって、ディスコミュニケーションなんですけども、本当に完全に自分が独りになっていて。自分のなかで消化しきれない感情があるのに、それを表現したら、人を傷つけてしまう言い方になるんじゃないかとか。気を遣ったりとか、単純にこんなことを考えている自分は恥ずかしいと思ったりとか、そういうことばっかりだったんですけど。でも、どうして自分がそういう感情を秘めたいと思っているのか、隠したいと思っているのかっていうことすら、言語化できるっていうことに気づいて。いま言語化の孕む暴力性や危険性も学んでいるところなので、一概にはいえないですけど、そういうふうに自分を表現する術みたいなものを、文学の研究を通じて教えてもらった気がします。
Q)杉田さん自身の、言語論的転回ですね。中学・高校は孤独だと仰ったんですけど、友だちでも教員でも、やっぱり同じ問題意識を共有できる仲間は、あまりいなかったんでしょうか?
A)そうですね。そもそもわたしが、そういうもやもやを抱えていることを恥としていたので、隠していたわけですね。こういう教育ってどうなんだろうとか、先生にはもちろん同じように受験を頑張っている子たちにもいえないし、そもそも自分の勉強の仕方にも自信がなかったので。言語化したいとすら思わなかったんです。
Q)でも、それではなぜ英米文学を専攻に選んで、上智大学に来られたんですか?
A)単純に本を読むのが好きだったからで、すごく深い理由があるわけではなかったんです。英語はもとからちょっと得意で、高校時代はそこにアイデンティティを見出しているところがあって。英語だけが得意で、ほかは本当に一切苦手だったので、自分には英語しかないと思っているところもあって。でも、その英語もどんどんほかのクラスメイトに抜かされていって、すごくしんどかったんですけど…。でも物語については、「赤毛のアン」シリーズとか、「ハリー・ポッター」シリーズとかも大好きで。ハリー・ポッターとかはもう読みすぎていて。
Q)自分の本心を隠しながら、建前的なところで選べる進路が、とりあえず英米文学だった。そうすると、そこでいまの展開に出会えたってというのは、すごく幸福なことですよね。
A)幸運だったと思いますね、偶然に過ぎないのですが。英米文学の方向に進もうっていうのは、受験の当時から決めていました。どの大学を受けるにせよ、英米文学科に絞っていたんです。上智大学に絞ったのも正直なところ、自分が合格できそうなレベルで一番高いところを目指そうっていうだけだったんです。だから、本当に入ってみてびっくりしました。大学に入ったらサークルとか入ってみようかな、大学生っぽくいろんなカフェに行ったりとか、そういうキラキラした生活を送ってみたいなとか思ってたはずなのに、入ってみたら勉強が楽しくて。わたしはサークルよりも勉強だと思って、本当に没頭してしまって。授業が終わった後も、プリントを読み返して先生が仰った言葉を書き留めて、こういう言葉の使い方があるんだとか、先生の話し方から学ぶところがあったりとか。どんどん道が開けていったのも、まさに幸運だったなって思います。
Q)指導教員の先生が羨ましいですね、こういう学生さんがいらっしゃって(笑)。そこで一気に花開いて、まさに世界が変わったっていう感じですね。
A)まさに世界の見方が変わりましたね。

「救いのなさに救われる」

Q)先ほど、カズオ・イシグロの文学にも大学の授業で出会ったと仰っていましたが、それまではまったく?
A)まったく知らなかったです。
Q)映画もドラマも観ていなかった?
A)はい、まったく知らなくて。
Q)では、数ある作家・作品のなかで、なぜカズオ・イシグロを選び取っていくことになったんでしょう?
A)それはもうディストピアだから、という理由に尽きます。カズオ・イシグロはディストピア作家というだけではなくて、いろんな小説を書いているわけなんですけど、とにかく授業で扱った「わたし」のディストピア社会がすごく刺さってしまって。
Q)それは、もう昔からの興味・関心で? あるいは大学に入ってからでしょうか?
A)大学に入ってからですね。中学・高校とかは、まさに「赤毛のアン」とか「ハリー・ポッター」とかそういう話が好きで。まあ完全なディストピアとはだいぶ違うと思うんですけど、ディストピアの「救いのなさに救われた」みたいなところがあって。生きているなかですごく辛いことがあったときに、その状況から完全に救われることってないじゃないですか、ほとんど。で、そういうところにすごくフラストレーションが溜まって、泣いていて。皆さんそうだと思うんですけど、いろいろ人間関係とか勉強について、自分よりももっとつらい人もいるはずなのに、自分がこんなに悩んでるのはそれこそ恥ずかしいとか、自分独りだけがこんなにきつい目に遇ってるんじゃないか、みたいに自己憐憫に浸ったりして、閉じこもっちゃっていたんですけど。そういうときに、「いや努力は報われるよ」とか「いまはつらいけどいつかどうにかなる」とか、そういう聞こえのいい言葉をいわれるのが耐えられなくて。より孤独感を抱いて、このひとはもうすべてそういう悩みから解放されてるからいえるんだって、生存者バイアス的な発言に思えてしまって。だから、そういう偽善の言葉で丸め込まないで、淡々と現実を突きつけてくれるディストピア小説に救われてしまって。「わたしが見たかった世界はこういうのだ」とか、「わたしがいってほしかった言葉はこういうのだ」っていうものが、ディストピア小説に詰まっていたのが、救われるというか、自分って独りじゃないんだなって思えたんです。誰にも教えてもらえなかったことを教えてもらったような、満足感や納得感がありました。
Q)なるほど。東日本大震災のあとに、ぼくも一時期文学が読めなくなったことがありまして。ずっと好きでいろんなジャンルのものを読んでいたんですけど、文学に書かれていることにまったく魅力を感じなくなっちゃったんですね。大事なことが書かれていると思えなくなってしまった。逆に、事実だけを淡々と追うノンフィクションを読んでいると安心したんです。もしかしたら、そういう経験とどこかで繋がっているのかもしれないですね。そういう意味でいうと、杉田さんが中高生のときからずっと抑圧していたものは、震災に匹敵するくらいの経験というか、ご自身のなかでは、それくらいの重みがあったことなのかもしれない。やっぱりそういうなかで、ディストピア、そしてカズオ・イシグロが一番心地よかったっていうことなんですかね。
A)そうですね、読んでもまさに心地よかったというか。あのときの自分が抱えていたフラストレーションは間違ってなかったんだな、孤独でもないし、別に恥ずかしいわけでもないし、それがある意味人間の本質みたいなものなんだなっていう、安心感みたいなのがありましたね。
Q)そうですよね。公明正大なものを見せられても、やっぱりその嘘臭さが際立ってきちゃうっていうことはありますよね。
A)結構ひねくれてたんだなって思いますね。ひねくれがこういう風に爆発してしまって(笑)。
Q)ディストピアにもいろんな描き方ってあるじゃないですか。マニアックな話になりますけど、1970〜80年代に未来の描き方が、手塚治虫的なバラ色の明るいユートピアから、例えば環境破壊が進んで酸性雨が降り続いているような、『ブレードランナー』的な陰鬱なイメージに変化してきた。もはや、そういうディストピアにしかリアルさを感じないようになってしまった。そうしたなかで、杉田さんが一番しっくり来る、心地よいディストピアっていうのはどんなものなんですかね。
A)まず、イシグロの記憶の歪め方っていうのはひとつ。やっぱり、心理とか記憶が関わってくるところですかね、リアリズム追求だけではなくて。 結構わたしは文学を心理的に、精神分析とかを使いながら分析するのがすごく好きなので。
Q)先ほども主観の話をされていたので、ディストピアを客観的に描き出すより、それを人びとがどう捉え、そのなかでどういう思いや感情を抱きながら生きているのか、そういうところに拘っていくわけですかね。
A)一言でいえば〈語り〉ですかね。ディストピアをどう語るかっていうところが。
Q)お、全部繋がってきますね。言語論的転回とか、ナラティヴの問題に。
A)ナラティヴの問題はもうとにかく深くて、人間のいま考えていることとか、過去に考えてきたこと、逆に、考えないように抑圧してきたこと、無意識的に刷り込まれる価値観、複雑な精神状態とかの表層部分が〈語り〉だと思っているので。だから、改竄された記憶とかも語りに表れますしね。『1984』と『わたし』の共通項としては、言語の改竄の問題が挙げられるんですが、『1984』にはニュースピークがありますし、『わたし』にもヘールシャムで言語を改竄して教育する手法が採られています。例えば、洗脳者側が「死ぬ」っていう言葉を使わずに「命を終える」とか「完了」と言い換えて、残酷さや痛ましさを排除するような書き方をしていたりとか。そういう言語の改竄や歪み、言葉が特定の語彙を失うことが人の思考にどう影響するのかとか、そういうところも〈語り〉に表れてくるので、一言でまとめれば〈語り〉です。その背後にある、語り手の脳のなかにある言語形態とか、あるいは心理とか、トラウマ的な記憶だったりとか。そういうものがぐちゃぐちゃに絡み合って現れるのが、〈語り〉だなと思います。
Q)面白いですね。杉田さんの興味関心が、全体としてすごく一貫性を持って成り立っていることがよく分かりました。
Q)では、語りに対する興味関心は、どのあたりから出てくるんでしょう?
A)やっぱり大学の授業ですね。それまでは、そもそも語りという言葉すら知らなかったんです。語りのタイプでも、わたしはイシグロ的な一人称語りが好きなんですけど、中学や高校で読んでいた本は、『赤毛のアン』も『ハリー・ポッター』も、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、三浦綾子さんの『氷点』とか、全部一人称視点じゃないんです。むしろ、一人称視点の本って読んだことあったかなっていうくらいだったので、新鮮味があったのかもしれません、こういう書き方もあるんだなと思って。一人称の語りって、すごく現実に対して忠実な書き方じゃないかなって思うんですね。 嘘が混じるぶんありのままというか、そういう書き方じゃないかなと。たぶんそこに大きな発見があったんだと思います。
Q)客観的な、第三者的な形で物事を描いていく書き方と、主観で描いていく書き方では、読者の経験がどう異なるのか。文学にはいろいろな分析方法があると思うんですけど、やっぱり杉田さんは、書き手のありようそのものを、自身も体験されていくことに関心があるのでしょうかね。
A)体験するというより、ひねくれているので、そこに突っ込みを入れたい感じはありますね。その世界に没入して新しい世界を見るというよりかは、どうしてこういう書き方になるのか、最初から結構批判的に読んじゃっているところがあるので。自分は常に世界を批判的に捉えているので、その見方と語り手の見方がどう違うのか、ギャップを見ていくっていう。
Q)例えば全身を包む服があって、誰か別の人の服だと認識はしているけど、それを着てみたときにどこにどう違和感があるのか。身体感覚も含めて確かめていきながら、その理由を追求していく感じですかね。ちょっとブカブカだなとか、ちょっときついなとか、そういうのを自分で感じながら、じゃあなんでそうなってしまうの?って。
A)カズオ・イシグロ作品以外にも、いろいろ援用できると思うんですよ。外在的にアプローチもしながらっていうのが楽しいなって、すごく思います。
話が転がり始めると、どんどん言葉が紡がれていく。

ディストピア文学の未来

Q)ご自身のことでも研究のことでも、未来とか将来を見据えていくっていうことは、まだあまりないんですか?
A)そうですね、とりあえずいまは、カズオ・イシグロに集中したいなと思っています。結構自分の好みを研究にしていると思うので、語り、ディストピア。 ディストピアのナラティヴについて。そういう方向性ではいきたいなと。でもやっぱり文学研究の面白さって、自分の好きなところだけを追求するのでは、満たしきれないところがあると思うので、他の文学とかも読んでよそ見しつつというか、違いを考えながら取り組んでいきたいです。
Q)先ほどもいいましたが、ディストピア小説って、時代や世界のありようと密接に関わっていると思うんですね。しかし、これほど世界そのものがディストピア化しているとき、これからディストピア小説ってどうなっちゃうんだろう?と。それでも必要とされるのか、あるいは、現実の苛酷さが度合いを増して、逆に文学の世界ではディストピアを描けなくなっていくんじゃないか。そのあたりはいかがですか?
A)そうですね。確かにディストピアとリアルの境目がどんどん曖昧になっていくところはあると思うんですけど、文学とリアルが完全に一致することはおそらくないと思いますし、ディストピアにもいろんな種類があるので、政治的な部分に焦点を当てるかとか、アトウッドみたいに女性に焦点を当てるかとか、いろんなディストピアの描き方があることを考えたら、そんなに完全に一致することはないんだろうとは思いますね。でも確かにアトウッドとかは「予言する作家」みたいになっていると思うので、 そういうふうに小説のほうにリアルが追いついてきているというか、現実が芸術を模倣するみたいな感じになっちゃいますけど、そういうことが実際に起こりうるんだなっていう怖さはかなり感じます。でも、ディストピア小説の描き方はまたどんどん変わっていくのでしょうし、小説にあるディストピア社会がいま現前したとして、そのなかで生きている人びとがさらにどんなディストピアを想像するのか、もう予測することができないですね。
Q)杉田さんが見ようとされているのが、人を通したナラティヴとしてのディストピアなんだとすれば、どのような時代・社会でも、ひとの数だけディストピアがありうるということですよね。極端なことをいうと、手塚治虫的な明るい未来こそがもうディストピアなんじゃないか、という捉え方もできるわけですもんね。
A)わたしの実体験としては、ディストピアを見たからこそ、自分のどういう要素が、自分を人間たらしめているのか実感できるところがある。いままでしんどいなとか、運ないなとか思いながら生きていても、ディストピアを見ると、簡単に言えば、自分ってすごく恵まれているなと。自分でも意識していないような、ある意味、恵まれてるがゆえに、意識せずに済んでいた根本的な問題が、自分を人間として存在させていることに気づくことがあります。

文学は誰にとっても「役に立つ」

Q)大きな話ですが、人間存在にとって、なぜ文学が必要なのかという点はいかがでしょう。
A)逃避先みたいな、避難所みたいなふうに、わたしは考えています。
Q)アジールですね。
A)中学とか高校のときに、『赤毛のアン』や『ハリー・ポッター』にはまっていたのは、そのときたぶん辛かったからなんだろうなって思います。現実が辛い、現実を見たくないと、どうしてもそういうハッピーエンド的なものにすがりたくなる。大学に入って逆にディストピアに向かっているのは、たぶんいまは自分の生活に満足してるからなんでしょう。二つの読書傾向の共通点を見ていくと、どっちもある意味逃避先になっているなって思います。中学・高校は辛い現実から逃げるために本を読んで、笑って現実のことを忘れてっていうことをして、大学ではいままでモヤモヤしていたことを発散させる先で、自分は独りじゃないし過去も独りじゃなかったって、これまでの自分を肯定するためのよりどころみたいなものとして、避難所みたいな感じで捉えてますね。どんな状況に置かれても、文学の世界を探れば理解者が見つかる、という希望もありますね。
Q)人間があらためて人間になるために必要な媒体というか、そういう感じなんでしょうかね。
A)まさにイシグロは、そういう辛い現実にどう折り合いをつけていくか書いている作家でもありますし、イシグロ自身も文学として表象することを通じ、自分の職業としてそれを体現しているみたいな。どの作家も誰かにとっての避難所、そういう存在なのかなというふうに思いますね。
Q)避難所っていうのはそうなんだろうなと思うんですけど、杉田さんにとっては文学自体、同胞みたいなものなのかもしれませんね。
A)そうですね。
Q)先ほど、かつては同じ問題意識を共有できる仲間がいなかったと仰っていましたが、そういう杉田さんにとって、文学こそが同胞として常にあって、だからこそ一人称で語ることが大事なのかもしれない。
A)確かに、自分が感じていることをうまく言語化してくれているキャラクターに出会うと、親友に出会ったような気がしたりするんですけど。でも面白いなと思うのが、現実の状況と逆行するような話を好む性質が自分のなかにあって、だから中学とか高校とかすごく鬱屈とした時代には、ハリーポッターみたいなヒーロー的な像に憧れたりとか、ある種同一化しようとしているところもあると思うんですけど、赤毛のアンみたいに常に明るくて人を笑わせてみたいな、何か失敗してもうまく乗り越えてっていうキャラクターのことを読んで、あ、いいなって憧れるところもあって。逆に、いまディストピアの世界に生きているキャラクターたちを見られるのは、自分が過去のことをある程度割り切れているからなんだろうなって思って。でも同じような体験をしている人を見ると、過去の自分が救われるみたいな、過去の自分を含めたいまの自分も救われるみたいな、 そういう体験があるなと思うので、同胞でもあり、まったく逆の精神状態にいる相手でもありって、ちょっと二重的な感じがします。
Q)場合によってはハリーポッターも、今後、中学・高校のときに見ていたものとは違う視点で向きあうことになるかもしれないですね。例えばハリーの特別性って結局は血なのかって考えると、やっぱり「世襲」の話でそれなりにディストピアですよね。
A)わたし、大学に入ってから一番好きだなって思うキャラクターが変わって、それがロンになったんですよ。ハリーの影に隠れて、いつも自分が注目してもらえない。それをついに最終巻で爆発させてしまうっていう。もうその感情のはけ口がいつまでも見つからないみたいな。ああいうロンがすごく好きで、だからそういう読み方が変わるっていうのはあるなと思います。
Q)もうなかなか、終わらない文学談義になってきました(笑)。作品やキャラクターについて話していると、いつの間にか向きあったひととひととの話になっている。文学談義を通じて、相手が何を考えているのか、だんだん分かってくる。
A)いま、理系・実学ばかりがもてはやされていて、大学院で文学なんか研究して何の役に立つのっていわれますが、理系のひとも文系のひとも、人間であることには変わりないじゃないですか。その人間がいかに複雑に、さまざまな要素が絡んだ存在なのか、その要素のオリジンがどこにあるのかとか、そうした個人の問題が、いかに社会に反映されていくかとか、人間について学ぶことは誰にとっても大切で、面白いことだと思うんですよね。
Q)それをこそ、今後杉田さんが、英米文学の研究を通して、一般社会に発信してゆくところなんでしょうね。
A)そうですね、そうかもしれない! わたしがいいたいのは、文学はいかにひとの役に立つかということなんです。他の意見を受け入れようとする心持とか、自分のなかの混沌を整理するための実践的な方法とか、自分の考えをわかりやすく、説得的に相手に伝えるための、言葉の操り方だとか。自分自身や、他者、社会との間の軋轢を和らげる方法を教えてくれると思います。
Q)頼もしいですね! われわれより上の世代の人文学者だと、「役に立たないところが素晴らしいんだ」と逃げちゃうところなんですが、杉田さんの世代の研究者が、胸を張って「役に立つ」といってくれると、ぼくらも頑張らなきゃなと思います。最後に、何か話し足りなかったことなどはありますか? とくに、これから大学や大学院に進学するひとたちに。
A)そうですね…。先ほどもお話ししたとおり、わたし自身そうだったのですが、中学や高校での勉強が肌に合わなくても、大学で勉強の面白さに気づくこともあるので大丈夫ですよ、とはお話ししておきたいですね。
Q)中学や高校で辛くても、大学まで来れば本当にやりたいことが見えてくる、世界が開けてくることもありますよ、と。それは実体験ですもんね。
A)中学や高校の先生にも、本当に感謝はしているんですけれども! カリキュラムや制度の問題ですね。逆に、高校で成績がよかった友人たちのなかで、本当の目標を見つけられないでいる子もときどきみかけるので。だから、そんなにテストの点数ばかり気にするなよって。
Q)教員も、テストの点数ばかりみずに、生徒さんの人間をきちんとみてくれよってことですかね(笑)。今日は本当にありがとうございました!
A)ありがとうございました!

【国文学専攻】「1000年経っても、鳥肌が立つ言葉」 に出会える。


大友あかり さん

博士後期課程国文学専攻



古典の言葉は、どうしてこんなに美しいんだろう

Q)まず、大友さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)『夜の寝覚』という作品の読解に取り組んでいます。これは、『源氏物語』以降に作られた物語なのですが、『源氏』の模倣に過ぎない作品だ、という評価をされていた時代もあったんです。でももちろん、『狭衣物語』や『浜松中納言物語』、そして『夜の寝覚』といった平安後期の作品には、実際はそれぞれ独自の面白さがある。そのなかで、『夜の寝覚』が『源氏』を受け取りつつも、どういう独自の言葉や表現を使って新しい物語を作っていこうとしたのか、というところに面白さを感じて。いまその言葉の世界に注目して、作品の独自性を探る研究をしています。
Q)大友さんの歴史のなかで、古典文学を学びたいと思われたのは、いつの頃なんでしょう?
A)すごく遡ると、小学校2年生のときですね。担任の先生が、国語教育にすごく力を入れている方で。百人一首を覚えさせてくれたんですね。最初は文法も何も分からないので、暗記をするだけだったのですが、ある日、母に買ってもらった百人一首の小学生向けの解説書で、初めて現代語訳をみたときに、「あれっ、なんかすごいキレイなんじゃないか」って思って。それから、よく分からないけど、日本の古典文学ってすごく美しい言葉だな、と思ってまして。その感覚が、ずっと高校になるくらいまで続いていて。なんでこんなに美しく感じるんだろう、どうしてこんなに美しい表現を用いるのか、どのように表現しようとしているのか…というところに興味を持って、勉強してきました。
Q)これまで何人かの院生さんの話を伺ってきて、小・中・高の先生の影響は大きいのだとあらためて思ったのですが、やっぱりいい先生でしたか?
A)そうですね、すごくいい先生に出会えたと思っています。
Q)そして、物語としての内容より、まず先に言葉の美しさなんですね。
A)小さい頃から本は好きで、自分でお話を書くのも好きだったので、そういう意味での物語の関心と、古典の言葉への関心が、いま合致しているのかもしれないですね。
Q)確かに、上智の国文学科は、物語の解釈より、テクストに使用されている字句や語法、表現を重視して研究されている先生方が多いですよね。そういう意味では、大友さんの関心とうまく合致していたのでしょうかね。
A)はい。
Q)そのあたりのことは、意識して入ってこられたんですか?
A)そうですね、上智の学部を選ぶときに、もともと他の大学でも日本文学科しかみてこなかったんですが、古典の教育をすごく大事にしているな、という印象がありまして。古典を堅実に学ぶことができる大学だな、と感じたんです。その古典のうえに、国語学や漢文学、近代文学を学べる。それがすごくいいな、と思って入りました。
Q)すごいアピール(笑)。では、かなり意識的に上智を選ばれたんですね。実際に入ってみていかがでしたか。
A)あ、ほんとに、いい大学だなというふうに(笑)。
Q)いやいや、批判的に仰ってくださっていいんですよ!
A)いえいえ(笑)、これは本当に思っていまして。とくに、先生方おひとりおひとりが、本当に丁寧に教えてくださるので。
Q)なるほど、個性的ですばらしい先生方がいらっしゃいますからね(笑)。
A)(笑)

心理を精緻に描き出すために、どんな言葉が用いられるか

Q)話を戻しますが、そうして大友さんにとってすばらしい環境で古典を学ばれるなかで、『夜の寝覚』に注目されたのは、やはり卒業論文のときだったんでしょうか?
A)そうですね、きっかけは卒業論文でしたが、卒論でとりあげたのは『更級日記』だったんです。卒論を終えて修士課程に入った段階では、菅原孝標女が物語を書いたか否かにすごく興味がありまして。『浜松中納言物語』と『夜の寝覚』が同一作者か否かという研究を本当はやりたかったんですけど、ちょっとまだ難しいということで。まずは『寝覚』をきちんと読んでみよう、ということで『寝覚』の研究をスタートしたんです。
Q)なるほど。『寝覚』の作者が孝標女かどうかは、大命題ですもんね。最終的にはそこへアプローチしたいということなんですね。
A)できれば…考えてみたいところです。
Q)もともと、孝標女には関心をお持ちだったんですか?
A)もともとテーマを選ぶときは、日記文学をやりたくって。最初は『蜻蛉日記』をやろうとしたんですが、ちょっとわたしの気持ちが入り込まなくって。そこで、本廣先生1から『更級日記』を勧めていただいたら、バチッとはまったというか、すごく面白くて。
Q)確かに、いま伺ってきた大友さんの「歴史」は、孝標女にとても重なりますね。
A)そうですね(笑)、千葉出身だったりしまして2、親近感はありますね。
Q)『更級日記』を読まれることは、孝標女がどのような人物だったのかを考える、ということとも繋がるんでしょうか。
A)『更級日記』の面白いところは、物語をどう捉えているかに収斂されると思うんですが、孝標女が作家だったかどうかは、『更級日記』の読み自体を大きく変えるのではないかと。
Q)なるほど! ではやはり、『更級日記』の読みを深めてゆくために、『夜の寝覚』や『浜松中納言』に対峙されていると。
A)そうですね、でも実はいま、『夜の寝覚』が思いのほか面白くて。いま、そちらを軸にした研究になっています。
Q)『寝覚』のほうは、どこに面白さを感じられたんでしょう。ご自分のなかで、何か響くものがあったのでしょうか。
A)『寝覚』は、先行研究でも、女主人公の心理描写がすごく緻密だというところが、高く評価されているんですね。実際わたしも読んでいて、ほかの平安文学にはない心理の突き詰め方というか、辿り方をしているところがすごく面白いなあと思っていて。現代の恋愛小説にも通じる心理描写なんですね。そこにある意味、いちばん共感したんですかね…。
Q)そういう意味では、日記文学に近いところがあるのかもしれませんね。
A)ああ、そうかもしれませんね。
Q)内面の心理描写が綴られてゆくことに、さきほどの、「言葉の美しさ」が関わってくるんでしょうか。
A)そうですね! 「美しさ」かどうか分からないんですが、生々しい感情というか、リアルな感情を写し取るために、どういう言葉を使っていて、どういう展開を言葉で表現しているのか、というところが面白いと思っています。
Q)確かに、心理をどんな言葉、表現、文体で表すか、そういう書記言語をどう作ってゆくのかは、平安時代で深まっていったことなのでしょうね。『源氏』をひとつの画期として、そのあとどうなってゆくのか。われわれの言葉がどのようにできてゆくのか、言葉の歴史としても非常に重要な問題ですね。

「美しいものを美しいままに描き出せる表現を知りたい」

Q)いま、心理を表す言葉が生み出されてゆくという話が出ましたが、物語にも、そこに書かれている内容を通じて、初めてもやもやした自分が整理できる、「ここに書かれているのは自分のことだ!」と共感し、そこからあらためてアクションを起こしてゆくことができる。そんな機能があるように思います。1000年前の物語にも、そうした役割があり、そうした読者たち、そして書き手たちがいたと思うんですね。お話を伺っていると、大友さんのご研究も、そうした営みに繋がっているように感じられるのですが。
A)そうですね。古典に限らず文学には、その物語の面白さだけでなく、書かれている内容のなかに自分を発見する、感情を言葉として理解できるようになるという面もあると思いますね。古典の場合は、それが1000年前から連綿と続いているのがすごいわけですよね。1000年経っても、自分が「鳥肌が立つような言葉」に出会える瞬間がある。
Q)「鳥肌の立つ言葉」というのは、いい表現ですねえ。
A)(笑)
Q)大友さんにとっての古典は、幼いときから、大友さんにとって自分ではなかなか言葉にできないけれども大切なもの、形はないけれど大事なものを、きちんと表現として提示してくれるものだったのかもしれませんね。
A)もともと百人一首に出会ったときに、お話を書いたり詩を書いたりすることが好きだったんですが、和歌ってそれこそ詩的な表現じゃないですか。自然や事象を美しく表現する技法に、自分ではとても辿り着けないものがあって、それに対する憧れが強かったですね。「美しいものを美しいままに描き出せる表現を知りたい」という欲求が強くありました。そこが結びついているんでしょうかね。
Q)やっぱり「美しさの探求」、「それをありのままに描き出せる技術の探求」がキーワードなんですね。物語を好きなひとって、大まかに分けて、それをコミュニケーション・ツールとして利用するひとか、それを通じて真善美に迫ろうとするひと、向こう側に至ろうとするひとに分けられるかなと思うんですよ。大友さんは明らかに後者なんですね。
A)割と前者が苦手だった、ということはあると思うんですけど(笑)。
Q)みんながいうほど、コミュニケーションは必要だと思わないというか(笑)。後者を突き詰めるほうがよほど大事で。
A)そうですね!(大笑) 関心としてはどうしても。
Q)そうするとこれは、国文学科に来るべくして、来たひとなんでしょうね。
Akari Otomo photo
上智大学国文学会発行の『国文学論集』を手に取る大友さん。院生たちも多く執筆。

研鑽の場としての大学院

Q)では、修士課程への進学も、自然ななりゆきだったんでしょうか。
A)あの、正直にいいますと、4年で卒業するつもりで、就活もしてたんです、8月まで。でも、いろいろ企業をみていたんですけど、何か、やりたいことではないなあ…という感じがずっとしていて。まったく納得感がなかったので。一方で、どうせ国文学科へ来たのだから、進学したい気持ちもあったんです。それで。
Q)では、就職の可能性も一応は検討したので、進学にはそれほど、不安や心配はなかった?
A)でもまあ、さすがに回りはみんな就職じゃないですか。ってなると、不安はもちろんありましたし。
Q)取り残された感、ありますよね。
A)ありますねえ(笑)、大丈夫かなあって。でも、やりたいことだったし、何よりやっていて面白いと感じることだったので、そこについての後悔はありませんでした。いまも厳しさは感じていますけど、頑張るしかないので。
Q)修士に入学されて、カリキュラムなどはいかがでしたか。割合に忙しかったかと思うんですが。
A)そうですね。学部と同じで、国語学、漢文学、近代、古文、どの分野でも単位が取れるようになっているので、やっぱり古典だけ集中してやるというのはできなくて。確かに忙しい、修論の研究ばかりしているわけにはゆかなかったです。
Q)そのときの基礎訓練は、博士課程まで来てみて、やはり必要なことだったとは思いますか?
A)それはもちろん! 必ず繋がってくることですので。漢文はもちろん古典の基礎ですし、国語学も…。わたしは修論で、『夜の寝覚』の文中にある「さりげなし」という言葉を追いかけたんですが3、語誌をみてゆくこともありますし、言葉を分析するために必要な勉強だったので。どれもまったく無駄ではなく、むしろ役にしか立たなかったです(笑)。必要な忙しさでしたね。
Q)本廣先生も、同じような方法論を使って研究をされていると思うんですが、どのようなことに気づくか、焦点を当てられるかに、研究者としての独自性が表れてきますよね。それは、それぞれの研究者の積み重ねの結果なんでしょうし。大友さんはその最中、ということですね。
A)そうなっていればいいな、と思います。
Q)国文学専攻のなかでも、いろいろな仲間たちが切磋琢磨していると思いますが、大友さんにとってはどういう環境でしょうか?
A)だいたい院生は研究室(院生室)に集まっているんですが、居心地はよくて。専門外の演習の報告準備などで分からないところがあれば、いろいろな分野を学んでいる院生がいるのですぐ質問できますし。お互いそういう質問をしあいながら、和気藹々とやっています。
Q)研究以外のことも話しあえる感じでしょうか?
A)そうですね、院生でないと共感しあえないこともたくさんありますし。非常勤の仕事の話をしているひとがいたり、今後の進路やいまの授業について、何でも話せる環境かなと思います。
Q)うーん、優等生的な話がたくさん出てきますね。まあ、そのとおりなんだと思いますが(笑)。
A)ほんとにそうですよ!(笑)
Q)外の大学のゼミや研究会、学会に出て学ばせていただく機会も増えると思うのですが、学会デビューはいつ頃でしたか?
A)わたしはまだ1回しか報告の経験がなくて。上智の国文学会※4で今年発表したくらいです。
Q)『中古文学』のほうに書かれたのは投稿論文で、発表はなさっていないんですね?
A)していないです。…すみません。
Q)いえいえ。上智の国文学会は、外部のひともずいぶんいらっしゃるのですか?
A)やはり、上智で教えていらっしゃった方、卒業生の方が中心ですね。
Q)報告されてみていかがでしたか?
A)もちろんすごく緊張はしたのですが、例えば分野がまったく違う方からの質問で、自分がまったくみえていなかった、気づいていなかった問題点をご指摘いただいたり。ここは説明が足りていないんだな、というところは質問が多く出て来るので、やっぱり学会で報告することは大事だなと思いました。
Q)緊張はするタイプですか、しないタイプですか。
A)あ、とてもするタイプです(笑)。

古典不要論に悔しい思い

Q)それでもいまは、よい環境で自分の研究が深められているわけなんですね。…でも、博士課程に進むという決断は、修士までと違って、それなりに重い意味があったと思うのですが。例えば実際、国文学科の博士課程にまで進んでしまえば、あとは中高の国語の教員か、研究者になるしかないところもあるでしょうし。
A)そうですね…。でも、一度就活はしていますし、他の仕事は違う、という気はずっとしていたので。わたしが突き詰めたいのはここなんだな、と。例えば、一般企業に就職するひとたちも、これをやりたい、この分野で貢献したい、ということがあると思うんですが、わたしは平安文学に関心があって、将来の進路を考えても、ここを突き詰めたいのだ、という思いがあったので。もちろん、この先は茨の道だとは思うんですけど。
Q)では、修士で研究なさっているときから、もう博士課程進学は意識していらっしゃった?
A)さすがに覚悟はいるので、もやもやはしていたんですが。…そうですね、修論がけっこう面白かったので。それこそ、『夜の寝覚』という作品が、これをまだまだやりたいな、と思わせてくれる作品だったんですね。それもあって。
Q)一方で、博士後期課程には進学せずに、中高の教員などをしながら研究を続ける、という方々もいらっしゃいますよね。そういう選択肢は採らずに、学位論文を書かねばならない、という強いモチベーションがあったわけですよね。
A)そうですね。プラス、わたしは実はまだ教員免許を持っていなくて(笑)。今年、教育実習にいったくらいなんですよ。でも確かに、教育よりも研究に意識は行っていますね。
Q)教員免許をお取りになるというのは、ポスドクの対策として?
A)現実問題、収入を得なければなりませんので。ただ、もちろん国語という授業が好きだったので。自分の知識を活かして社会に貢献できるとしたらこの仕事なのかな、とは思います。
Q)ちょっと国語教育については伺わなければ、とは思っていたんですが。例えば、小学生の頃に自分に古典への関心を開いてくださった先生のように、子どもたちや若いひとたちに古典を好きになってほしいとか、そのあたりのアウトリーチ的なモチベーションはお持ちではないんでしょうか。
A)あ、それはぜひ広めてゆかなければ、とは思っています。それこそいま、文学離れみたいなことはいわれていますし。学部時代に塾講師をやっていたんですが、国語を教えていると、「古典・漢文なんて要らないよ」とはよく聞くので。すごく勿体ないな!と思っていて。古典に携わる者として悔しいですし。今年実習に行ってみて、やはり教育現場で古典を教えることが、その問題にアプローチするにはいちばん大事な場所なんだ、ということは重々感じましたので。そこにも踏み込んで行けたらな、とは思っています。
Q)実習のときに、この子は昔のわたしだな、という生徒さんはいらっしゃいましたか?
A)いましたね!(笑) 古文を教えてたんですが、明らかに学習意欲が周りとは違う感じの。すごくびっしりワークシートも書いて、うんうん頷いて授業を聞いてくれる。そういう子が、国文学科に進んでくれるといいなと思いましたね。
Q)そういう子が、もしかしたら大友さんのことを、ロールモデルとして捉えているかもしれませんしね。
A)だったら嬉しいですね!
Akari Otomo photo
国文学科はユニークな先生も多い、と緊張もほぐれる。

好きな作品の価値を、自分で生み出せるのが研究

Q)いま人文系の大学院に入ろうかどうしようか迷っているひと、大学院自体にあまり関心がないひとへ向けて、「大学院ってこんなに面白いところですよ」と、何か、若手の研究者としてメッセージをいただけますか?
A)文学研究の面白さは、自分が好きな作品、面白いなと思っている作品に、自分で価値を付けられるところだと思うんですよ。それこそ、高校までの授業だと、すでにある見解とか価値とか、教科書に載っている「価値付けられた作品」を読んで、こういうものがあるんだな、で終わってしまうと思うんですよ。研究はそれとは違って、この作品はこういうところが面白いんだぞ!って、ある程度の根拠をもって、世の中に示せるところがいちばんの面白さですよね。ですから、文学が好きなひとはぜひ、その熱意をいちばん発揮できるところだと思いますので、…来てほしいなと考えます。
Q)なるほど、よく分かりました! ちょっとぼくのほうで文脈を主導してきてしまったところはありますが、大友さんのほうで、何か話し足りなかったところはありますか?
A)そうですね…。文学系の大学院へ行ったら就職できない、という話はよく聞くと思うんですよ。インターネットを検索すれば、「人文系の大学院へ進学したら将来は暗い」なんて出てきますし。でも、例えば修士課程を修了して一般就職、というひとも増えていると思うんですよね。ですから、そんなに怖がらなくてもいいのかなと(笑)
Q)確かに。いま、大学って忙しくなっているので、6年かけないと本当に納得のゆく研究はできない(卒論が書けない)部分はありますよね。修士まで行って完全燃焼してから就職しても、就職状況は4年新卒の場合とそれほど変わらないですし。だから、怖いことはありませんよと。
A)何より面白いですしね!
Q)それがいちばん大事ですよね、本日は長時間ありがとうございました。
A)ありがとうございました。これで大丈夫ですかね…。

  1. ……本廣陽子、本学文学部国文学科教授。 ↩︎
  2. ……菅原孝標女は、父親の国司赴任に従い、上総国に下向した。現在の千葉県市原市、JR内房線五井駅の前には、孝標女の像が立っている。 ↩︎
  3. ……「『夜の寝覚』の「さりげなし」─すれ違いを描く方法として─」(『中古文学』113、2024年)として刊行された。 ↩︎
  4. ……上智大学国文学会。本学国文学科の設置する学内学会。毎年夏季・冬季の2回の大会を開催、『国文学論集』を刊行している。 ↩︎

【史学専攻】自分と出会いなおす旅。


新井梨予 さん

博士後期課程史学専攻、史学科研究補助員



「なんでここまで惹かれちゃったんだろう」 を探す旅

Q)新井さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)専門としているのは、近世のスペインの歴史で、そのなかでもいちばん南の海辺にある、マラガという都市の研究をしています。わたしは場所ありきで研究をしているところがありまして、高校のときに夏休み一度、マラガに1週間ほど滞在したんです。それが初めてのスペインで。歴史的なものは残っていますが、観光資源という感じで。普通のリゾート地だったのに、なぜかずっと引っかかっていて。まず、スペインで卒論を書こうとは思っていたんですが、そのなかでもまずマラガ、都市に注目しようと。
Q)海外旅行はもともとお好きだったんですか?
A)高3の夏休みだったんですが…、スペインのことはずっと好きだったんですが、大学をスペイン語学科にするか歴史をやるか迷っていまして。とりあえず、スペイン語を何とかしようと。スペイン人に会ったこともなかったので、本物をみてみようと。未成年者をひとりで受け容れてくれるのが、マラガの語学学校だけだったんですよ。それだけなんです。
Q)そうすると、かなり偶然のところもあって、マラガと出会ったと。
A)そうですね、偶然です。行きたくて行ったわけではなくて。それが、初ヨーロッパでした。
Q)スペインがお好きだったというのは、そもそもどういう?
A)それは、遡ること保育所時代…。
Q)ずいぶん遡りましたね(笑)。
A)保育所に置いてあった、『ねぼすけスーザのはるまつり』1という絵本がありまして。日本人の方が書かれたものなんですが、いま考えてみますと、セビーリャの春祭りがテーマになっている絵本なんですね。スーザちゃんという女の子が主人公なんですが、けっこう貧しい…両親がいないのか、おばさんの家に預けられていて。貧しくてお祭りに行く靴が買えないんだけど、ドレスの端切れを使って古い靴をデコレーションして、お祭りに行くという。なんてことのない話なんですけど、それからスペインのことがずっと好きで。とくにアクションを起こしたわけではなかったんですが。
Q)でも、大学でスペインを学ぼうとするほどの動機には育っていったんですね。
A)両親もあまり、実学を勉強しろとはいわなかったので。まずスペイン。それと世界史が好きだったので、世界史のなかでスペインをやるか、それとも語学をやるか。ツールか方法かで迷っていたくらいです。
Q)そうするとやはり、マラガとの偶然の出会いが、一生を決めてしまったというか…。それがどんな出会いだったのか、具体的なところが気になりますね。何でそんなに惹かれちゃったんでしょうね?
A)うーん、たぶん、「なんでここまで惹かれちゃったんだろう」を、ずっと探している気がします。
Q)なるほどね!
A)スペインはともかく、なんで他の都市じゃなくマラガなんだろうという問いは、ずっと自分のなかでもあって。
Q)じゃ、当時最初に行ったときも、惹かれるきっかけみたいなものは何もなくて…。
A)そうです、ずっと日本へ帰りたくて。たった1週間なのに。マラガって、ドイツとかヨーロッパの北の方のひとたちが、夏休みに語学研修に来ることが多くて、学校でもスペイン語とか英語とかではなく、ドイツ語やフランス語話者が多くて、とても孤独でした。2日目からもうホームシックです。ひとりで観光できる時間は楽しかったですけど。
Q)帰りたい帰りたいという孤独な時間と、そこから解放される自由な時間と、そのコントラストのなかで惹かれていったんでしょうかね。「スペインとマラガとわたし」みたいな(笑)。
A)ほんと、ごめんなさい、参考になる話じゃないんです(笑)。

マラガも上智も「思い込み」から

Q)でも史学科に入ったというのは、マラガを勉強するのは、歴史を考えたほうがいいと思ったんですか?
A)そもそも史学科に入る段階では、まだマラガに絞ろうと思っていなくて、スペインの歴史への関心だったんです。語学はツールなので、甘い考えなんですけど、自分で頑張れば何とかなるんじゃないかと。なら、語学じゃなくていいのかなと。
Q)どっちへ行っても、上智だったかもしれませんけどね。
A)そうなんです、ずっと上智に入りたくて!
Q)えっ、そうなんですか。
A)中3から上智のオーキャンに来るという、謎の。ほかの大学のオーキャンには行ったことなくて。
Q)そうなんですね! それはなぜなんですか。
A)イメージです…。
Q)(笑)
A)わたし小・中・高と、ずっと仏教系の学校の出身で。だから、宗教色の強い学校への忌避感はないんですよね。あとは規模感でしょうか。家からも通いやすいし、雰囲気もよいので。なぜかずっと上智。
Q)マラガにしても上智にしても、新井さんのファースト・インプレッションをずーっと引きずっているというか。
A)そうなんです、よくいえばファースト・インプレッション。でも、「思い込み」なところもちょっとあるんですよ!(笑)
Q)自分でも意識化していない、感性の部分で惹かれるものがあって、それを最終的に追究していったわけですね。でもどうですか、入ってみてその自分の印象は正しかったのか、間違っていたのか。
A)正しかったから、こんなに長い間いるんだと思います。
Q)居心地はよかったんですね。では、マラガを最終的に研究の対象に選んだのは、どのような経緯だったんでしょう?
A)3年生…卒業論文を意識する頃ですかね。それまで何度か、研究の方向性をまとめることはあったんですけど、まだマラガでは全然なくて。それを指導教員の坂野先生2が、「こんなの!」と(笑)。面談をたくさんしてくださるんですよ。「なんでスペインなの?」というところから話していったとき、「それって、マラガなんじゃないの?」と。
Q)ああ、「坂野セラピー」の結果なんですね!
A)そうそう、けっこうあるんです。
Q)指導教員との対話を通じて、自分を再発見するという。
A)すごい言語化!
Q)ああ、けっきょく自分はあのときのマラガを追い求めているんだな…と気づいて、じゃ、あらためてマラガに取り組もう!と。
A)そんな感じです!

「来ちゃった」 ✖️2

Q)なかなかキレイな物語り(笑)。で、取り組んだ卒業論文の出来は、ご自分からみて?
A)いやもうヒドイ…。わたし書くことが苦手で(笑)。だから、なんでいまここにいるんだろうと、ずっと思っているんですが。思っていることをきちんとした文章にしてゆくのが、ずっと苦手なんですよ。学部のときのレポートはすごく好きだったんですが、それが「卒論」となると、急に身構えて、ぜんぜん書けなくて。〆切の日の、朝まで書いてました…、あまりよくないタイプの…。
Q)学術論文とか、論理構成がきっちりしたものはダメなんですね。でもずっとお話をうかがっていると、感性はとても豊かだし、エッセイとかは得意なんじゃないですか?
A)そうだと思うんですよね。
Q)では、自分ではあまり向いていないと思っているほうへ…。
A)来ちゃった。
Q)というわけですよね(笑)。そうすると、その先修士課程へ進学しようというのは、大きな判断ですよね? 友だちが一般就職すると、「取り残された感」は強いじゃないですか。
A)そうですね、仲のいい友だちはみんな就職しちゃったので…。わたし進学を決めたのが、遅くて、4年生の就活が始まっている時期だったんです。就活自体も、若干していました。でも、本当にはやる気がないから有名どころにしか出さず、対策も立てていないのでもちろんダメで。で、もう無理だと思いまして、「休学したい」と、坂野先生に話しに行ったんですよ。でも、「面談してほしい」ということで研究室に行ったら、先生は、「なに?大学院の話?」って(笑)。
Q)スペイン、マラガ、サカノ、という引きが…(笑)。坂野先生のなかでは、このひとは大学院に行くひとだ、という位置づけになっていたんですかね。
A)勧めてみれば行きそう、というくらいでしょうか…。
Q)そういわれたときにどうでしたか?
A)いや、ぜんぜん考えていなかったので。大学院は、優秀なひとが行くところだと思っていたので。同期にフランス語とかすごくできる子もいたんですけど、わたしはできないし。ですから、いわれたときはびっくりしたんですが、母が乗り気で。「いいじゃん、行っちゃいなよ」って。「来てもいいっていってくださっているなら、行けばいいじゃん」と。で…来ちゃった。
Q)パワーワードですね(笑)。お母さまは、梨予さんをみていて…。
A)みていて、ずっといっていたのが、この時代、20歳そこそこで就職は違うんじゃないかと。
Q)20代の間はまだまだいろいろなことを学んで、経験して、好きなことをやりながら、自分を磨いたほうがいいだろう、という方針なんですね。
A)そういう家庭方針。
Q)そうしたなかで、回りが許してくれるなら、行ってもいいのではないかと。
A)そうですね…。とにかく就活が嫌で。スーツ来たくない(笑)。就職するにしても、そんなみんなでスーツ着なくてもいいじゃないかと。抗い。
Q)なるほど、いいですね! そう思っている人は、いっぱいいると思います。でも、これまでを振り返って、ふわっとしているみたいな感じで話されていますけど、かなり尖った行動をされてきていますよね、実は。
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成り行きにみえて、新井さんの人生は厳しい決断の連続。

ずっと自分の関心のありかを探してきた

Q)それで進学された修士課程、いかがでしたか?
A)修士1年が…意外と、大変でした。自分の研究というより、取らなければいけない科目の課題が多くて。学部のときより忙しいじゃん!と。
Q)もっと自分の研究をゆっくりできるかな、と思ったら。
A)できるかな、と思ったら…そうでもなく。不足な部分を学べる意味ではよかったんですけど、びっくりしたかなと。
Q)振り返ってみると、やっておかなければならなかったことだったな、とは思いましたか?
A)学部のときにやっておくべきことだったな、と。なんでわたしはこんなことも知らずに大学院へ来ちゃったんだろう、とはすごく思いました。修士1〜2年のときには、イスパニア語学科の内村先生3のゼミにも出ていて、これまで史学科ではフランス史のゼミだったので、肝心なスペイン史の基本を学んでいなかったんですよ。もちろん、興味のあるところは勉強していましたけど、全体像が分からなかったので。坂野先生は、「国制史」というより宗教や都市空間がご専門で、内村先生は複合国家論4とかを研究している方だったので、オーソドックスな歴史学のスペイン史をしっかり学べたのは大きかったと思います。
Q)歴史学全体のなかで、スペイン史、そしてマラガの位置づけができるようになった、ということですかね。
A)そうですね。
Q)でも、自分の研究していることの周辺がクリアーになってきて、見通しが利くようになると、かえって自分の研究の小ささとか、不充分さがよく分かってきて、怖くなることなどはありませんでしたか?
A)そうですね…、「結局これをやっていて、どうなるの?」といった疑問は常にあります。「なんでマラガなんだろう」も、きちんと言語化できていませんし。スペイン語文献も読めるようになると、「あっ、自分が研究していたこと、もうここにあったじゃん」みたいなこと、再生産していただけか…とがっかりすることもけっこう多くて。修士論文を書く前も書いた後も、ずっとそういう状態かもしれません。
Q)学問てみんなそうだと思うんですけど、そうすると逆にやめられなくなっちゃう?
A)そうですね…、不完全燃焼感がずっと強くて。社会に出てからも続けられるっていいますけど、自分はこの環境に身を置き続けるしかないのかって。
Q)それがドクターまで進んだ理由なんですかね。例えば、中高の先生をされながら、一方で研究を続けている先輩方もいらっしゃいますが、そうすると仕事のほうしかできなくなっちゃいそうで?
A)わたし、定職が決まったらとにかくそれに打ち込まなきゃいけない、それしかみえなくなっちゃう性分なんですよね。時間で区切られる仕事ならいいですが、実は教員免許も持っていなくて…。なので、一般的な正社員ということになれば、両立は難しいですから。
Q)そうすると、修士のときよりだんぜん自分の研究へ専念できる環境で、思う存分やってみたいというところですかね。…さて、それでは、「なぜマラガなんだろう」をずっと問い続けて博士課程まで来た新井さんには、いまマラガはどう捉えられていますか?
A)修論を書き終わってここ最近で気づいたのは、マラガを舞台にした「人の移動」に関心があったんだな、ということですね。マラガって沿岸部の街なんですが、商人でも何世代にもわたって定住するひともあれば、一時的に留まるだけの滞在者もいて。北アフリカ(マグリブ)と近いので王国の軍隊が駐留していたり、海賊などの襲撃で住人が捕虜として捕らえられていたり。ひとの出入りがとにかく激しくて、自発的だったり強制的だったり…。そういう、ひとがさまざまな動きをして、それを都市という箱がどう管理をしているのか、というところに興味があったんだなと、修論を書き終えてようやく掴んだ気がします。
Q)なるほど、そうするとずっと、自己探求の旅だったんですかね。マラガを手がかりにして、ずっと自分の興味関心のありかを探し求めてきた。自分っていったい何だろうと、考え続けてきた結果でもある。
A)そうですね!
Q)マラガに最初に来たときに、多彩なひとのゆきかう風景をみていて、しかしそれは自分の気持ちの底に沈んでいて気づかずにいたけれど、…研究を通じてかつて惹き付けられた風景が、よみがえってきたということなんでしょうか。博士課程まで来て、マラガと出会いなおした、自分と出会いなおしたと。
A)キレイな言葉でいいなおしていただきました(笑)

学会報告と「頭のいいひとたち」

Q)ちょっと話は変わりますが、大学院での研究生活は、どのような感じでしょうか?
A)やっぱり忙しいですね。ずっと何かに追われている。「自由」ではないですよね。
Q)長期休暇はどうですか?
A)本当は現地に行ったほうがいいんですけど、ぜんぜん行けていなくて。修士の最初のほうは、新型コロナウィルスの流行が被っていましたし、『紀尾井論叢』5の研究ノートを書いたり、修論へ向けてスペイン史学会6で研究報告をしたり、東京外語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所がやっている「中東☆イスラーム教育セミナー」7に出たりとか。これまでずっと、夏休みは報告系が忙しかったですね。
Q)でも、自分の研究ができていた、ということではありますよね。初めての学会報告、研究会報告はいかがでしたか?
A)最初は、坂野先生がなさっている若手研究セミナーだったので、いらっしゃっている先生もだいたい存じ上げている方だったんです。ですから、スペイン史学会の報告がとても怖くて(笑)。でも、参考文献に挙げさせていただいている先生方から、軒並み質問をいただいたので、どうしようと思いましたけど…でも、あまり怖ろしいご質問はなかったので。本当に細かなこと、スペイン史のひとが回りにいなかったので困っていたことを、直接伺えたのでありがたかったです。
Q)学会のよい面を吸収できたんですね。
A)そうですね。それから、同世代のスペイン史研究者にもこれまで会えたことがなかったので、ネットワークが広がってよかったなと本当に思います。そうそう、大学院に来た理由でもうひとつあるんですが、専門的な知識を持っているひとたちから、直接そのひとたちの使っている言葉で、お話を伺いたいという気持ちが強いんです。一線で活躍する研究者の方々が、難解な学術用語で応酬しているところをみたい!と。それを見聞きするためには、自分も同じ土俵に上がらないとアクセスできないので。
Q)ははあ!(笑) でも伺っていると、新井さんは、徹頭徹尾ひとへの興味関心がすごく強いんですね! ひととひととが交流している、その様子をみたいという好奇心がすごく強い。それに貫かれているんだ。
A)そうかもしれない(笑)。
Q)ひとに関心をもって、出会ったひとのいうことをよく聞いて、ひとを大切にしてきた結果の研究、ということなのでしょうね。
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いまはようやく、自分の好きな研究と向きあえているという。

少しでも関心を持ったのなら、飛び込んだほうがいい

Q)最後に、大学院へ行こうかな、どうしようかな、と迷っているひとたち、まだあまり関心のはっきりしていないかもしれないひとたちに、メッセージを。
A)「行こうかな」と思ったのなら、来たほうがいいですね。
Q)新井さんの行動原理ですよね!
A)そうです! 「行こうかな」と思ったのなら、何らかの興味があるということですし。一度外へ出て、ということでももちろんいいと思いますが、学部のうちに少しでも思ったのなら、行っちゃえばいいと思いますね。まったく関心がないひとは、「知らない」だけだと思うんですよ。嫌いなわけじゃないんですから、情報がなかっただけで。
Q)そうですね、大学院がもっとアウトリーチ活動に力を入れろと! お前、何やってんだと!
A)いえいえ(笑)。
Q)(笑)われわれの課題も、ハッキリと指摘していただいて。本日は長い時間、ありがとうございました。
A)こちらこそ、ありがとうございました。
  1. ……広野多珂子作の絵本。2005年、福音館書店刊。 ↩︎
  2. ……坂野正則、本学史学科教授。専門は、フランス近世の宗教史・社会史。 ↩︎
  3. ……内村俊太、本学外国語学部イスパニア語学科教授。専門は近世スペイン史、とくに16世紀の歴史編纂。 ↩︎
  4. ……19世紀以降の国民国家(均質な国民・一元的な権力体制・ひとまとまりの領土)に比して、多様な社会集団と権力行使のあり方、分散的な領土をも持ちうる、近世以前の国家形態。 ↩︎
  5. ……本学大学院のさまざまな専攻に属する院生たちが組織する、「上智大学Sapientia会」発行の学術誌。 ↩︎
  6. ……日本におけるスペイン史研究の主要学会。1979年設立。 ↩︎
  7. ……中東・イスラームに関する大学院・若手研究者の支援のため、東京外国語大学アジア・アフリカ言語研究所が推進する教育・研究プロジェクト。2005年より毎年実施されている。 ↩︎

【哲学専攻】問わなければ、満足して死ねない。


石田寛子 さん

文学研究科特別研究員(哲学専攻)



「顕現せざるもの」の経験をどう捉えるか

Q)まず、石田さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)最近学部の授業を持つようになりましたので、いつも、「どのようにすれば伝わるのか」を考えているのですが…わたしの研究は、分野としては「現象学」、領域としては宗教哲学になります。本学には神学部もありますが、それと比較すると明瞭になるかもしれません。神学部の学びが神の存在、そしてその神へ向かうひとを前提にするなら、哲学科は神を前提とせずに、「宗教的」とされる経験そのものを追究する学びなんですね。宗教があって経験があるのではなく、まず経験一般があってそこから宗教が出てくるのではないかという、ベクトルが逆なんですね。わたしたちはふだんさまざまな経験をしますが、それは本当の意味において「経験」しているのか。それは「仮象」1に過ぎないのではないか。よって神についてもひとまずは「 」に入れ、現実の経験から出発するわけなんですね。批判に批判を重ねて最後にみえてくるもの、原初的なものがみえてくるのではないか。それにわたしたちは事後的に、「神」という名前を与えているだけなのではないか。経験にもいろいろありまして、とくに宗教にも繋がるそれは、「みえないものをみる」こと、「語りえないものを語る」こと、そして「知りえないものを知る」こと、「顕現せざるもの」の経験なんですね。それをどのように捉えるのかが、わたしの目下の研究テーマになっています。
Q)神学のことを比較対象に出されました。本学でこそやらねばならない研究だと思いますが、しかし一方、神学にも保守的な立場があるとすれば、石田さんのような問題意識を本学で持ち続けるのは、けっこう大変なことではありませんか?
A)仰るとおりですね! キリスト教の伝統と、思索の一形態としての現象学とは、実のところ分かちがたい関係にあるのではないかと思います…。やはり宗教における際立った問題として、その経験が本当のものであるかを問わなければいけないと思うんですね。絶対化してしまう、偶像化してしまう、ということもありますし…、そうしたことは個人的にも経験してきましたので、きちんと向きあって研究しなければいけないと思ったんです。「幻惑」と「真理」の近さと遠さですとか、「救済」とそうではないものとの見分けがたさですね。それらがどのように経験され、また仮象として見破ることができるのか…という、根本的な問いがあります。

「神なき」あり方こそ「神に近い」

Q)ご自分の信仰のうえでも、現象学と向きあう必要があったということですね?
A)はい。
Q)しかしそれは、回りに神学の先生がたくさんいらっしゃるなかで、かなりの決意と覚悟がなければできないことだと思いますが…。
A)確かに、あらためて認識しました! 仏教でも、坐禅の瞑想のなかで仏を観てしまうと、「槍で突き刺せ!」とか「頬を叩け!」とかいいますよね。まさに、観てしまったことへの誘惑に、いかに打ち勝つのか。そこが宗教の仮借なさ、でしょうかね。そうしたところに、常に立ち続ける覚悟は必要だと思います。
Q)哲学全般がそうなのかもしれませんが、「求道」ですね。
A)そうですね、道ですね、ハイデガーもいっていますけれども。
Q)しかし信仰と研究を、ある意味で一体化させる形でなさっているとすると、それらが乖離してしまう、対立してしまうこともあるのではないかと思いますが、これまで、そうした経験をなさったことはありますか?
A)難しくなってきましたね(笑)。しかし、どこかで自分の「神」を疑うという経験を…どこかで通過することは、むしろ必要かもしれません。人間はどうしても安きに流れてしまう、「安心」というものを求めますが、あえてそこで目を見開かなければ、本当のものには辿り着けないと思いますね。
Q)「神をみてしまうとき」は、自分がいちばん弱くなってしまっているときかもしれないですしね。
A)いちばん危険ですよね。そうした意味では、むしろ「神なき」あり方が、かえって「神に近い」、神聖なものに近いといえるかもしれませんね。

本を通して孤独と向きあう

Q)大変理性的な立場に自分を置かれていてすごいのですが、そうした研究のあり方の原点となる経験は、何かおありでしょうか?
A)哲学全般にいえることだと思うのですが、やはり「生きるとは何か」という問いが、根本にありますね。「自分とは一体何者か、この世において何をなすべきなのか」…それは、いつの頃からか考えていたと思います。自覚したのは、哲学科に行こうと思ったときで、中学生の頃だったでしょうか。
Q)多感で、自分と世界について深く考える時期だと思いますが、みんながみんなそうではないでしょう。かえって孤立感を深められたのでは?
A)仰るとおりです。学校では主題化できなかったですね。なので、本を通して2、自分と向きあうことが多かったと思います。その頃は、パスカルの『パンセ』3が大好きで! 危ない中学生ですが(笑)、なぜか本屋さんで出会ってしまったので。分かったような気になって読んでいたんだと思うのですが…何かそのなかに、「真実なるものへの問いがある」と、考えていましたね。
Q)どなたかとの対話のなかで、というより、本を読むなかで問いを深められていたんですね。
A)他者との対話と自己との対話、二つの大切な対話があると思いますが、気がつきますと、どちらも本を通してやっていましたね。
Q)でもそういう中学時代、高校時代は、やはり苦しさとか、つらさとか…?
A)苦しかったですね!(笑) 現実と向きあわなければいけないので…でも、そのなかで倫理や世界史の授業、あとは語学か、それらでは解放されました。
Q)倫理は分かりますが、世界史はどういった?
A)世界史はやはり、人間のドラマの展開、人間が生きてきた痕跡といいますか。先生がよかったのですが、そのなかに自分の生も、生きられてゆくんだなあと感じまして。
Q)書物を通して、哲学者やそのひとやそのひとの思想、過去を生きた他者たちと向きあいながら、問いをどんどん深められていったわけですね。もう高校生の時点で、哲学科に入学されているような(笑)。いままでうかがった話からしますと、哲学か宗教か、選択肢としては二つあったと思いますが、大学に入学されるときに前者を選ばれたわけですね。
A)当時何を考えたのかは明確に覚えていないのですが、やはり普遍的な問いとして、「真なるものとは何か」を深めたいと思ったのでしょうね。そのなかで、「神とは何か」「宗教とはどのような営みか」を、考えたいと思ったんじゃないでしょうか。この世にあらなければいけないけれども、それでいてこの世に埋没しない。「世にあって世にない」という、大変パラドキシカルなものが宗教だと思うんですが、それをいかに問うのかということで、哲学を選んだのではないかと思います。
Q)若いと、流行の現代思想などにかぶれてしまいがちだと思うのですが、割合に伝統的な大命題ですよね。
A)一方でそういうものへの関心はありまして…当時でいえば、『涼宮ハルヒ』とか大好きだったんですが。でも、そうしたものに距離を取らないと、自分の根本的な問いを見失ってしまう気がして。とくに中学生や高校生のときって、自分は何がしたいのか、何ができるのか、よく分からないですよね。それを見極めることができるのかが、いちばん大事だったのだと思います。自分が弱い人間だということを、自覚していたんです。もうすぐに、偶像とかそういうものへ、癒やされにいってしまうので(笑)。厳しくしなければいけないなと。
Q)中学生、高校生の頃から、石田さんのなかには、弱い自分をストイックに厳しくみつめる柱と、自分の興味関心を強靱に追求しようとする柱の二つがあって、その間で葛藤を繰り返していたということなんですね。それが「強い」、ということなのかもしれませんね。昔からの宗教者でも、強靱一辺倒のひとより、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、常に迷う弱いひとのほうが、共感できるし魅力がある。石田さんもそういうタイプなのかもしれませんね。
Hiroko Ishida photo
学生時代を思い出し、笑みもこぼれる。

マリオン『存在なき神』との出会い

Q)上智大学へ進学を決められたのは、かなり早い段階ですか?
A)プロテスタントの中高一貫校に通っていたのですが、中3の頃にオープン・キャンパスへ来まして、模擬授業にも参加をしました。いろんな大学へ行ったんですが、上智がいちばん、居心地がいいなと感じました。
Q)実際に入ってみていかがでしたか?
A)すばらしいと思いました(笑)。入学式の、石澤良昭学長先生の言葉を覚えているんですが、「三つの出会いを大切してください。他者(学びの友)との出会いと、本(学びの書)との出会いと、先生(学びの師)との出会いと」。それはまだ、わたしの心のなかで、生きているなと思います。
Q)石田さんが辿ってきた道を、肯定してくださるような言葉だったのでしょうね。中学・高校では解放できなかった自分を、大学では自由にできましたか?
A)素晴らしかったと思います! 自分の興味・関心と適合する科目、とくに魅力がある専門科目が本当に多くて。自分が取り組みたい学問はこういうものだったんだって、明確になる経験をしました。自分の問題意識はどんなものなのか、照らし返されて、そしてもう一度自覚されるという。でも、教職課程を履修してまして、取らなければいけない科目が決まっていましたので、ほかにも取りたい学びがたくさんあったのですが、残念でした。
Q)そういうなかで、現象学との出会いもあったのでしょうか。
A)ちょうど、卒論で何に取り組もうか考えていたときに、このジャン=リュック・マリオン(Jean‐Luc Marion)の、『存在なき神』4が翻訳されたんですね。いろいろやりたいことがありまして、友だちとアミダくじを作って、テーマを決めようかなんていっていたんですが。
Q)お友だちのお話が出ましたが、中学・高校から深い問いを抱えていらっしゃって、大学で他の学生との間に温度差を感じる、熱量の違いを感じることなどはありませんでしたか?
A)いい意味で個人主義でしたが、それでもわたしたちの頃は、自主的な研究会がたくさんあって。自然消滅してしまうものも多かったんですが、授業外での学びを作るという趣向は強かったですね。
Q)大学院でやるようなことを、すでにやっていた?
A)そうですね。もちろん、先生に反発するガス抜きの会、という面も強かったですが(笑)。授業に出ないで研究会だけ出る、というひともたくさんいました。
Q)さて、そうしたなかで『存在なき神』ですが、その出会いは具体的にどんなものだったのでしょう。読んでいるうちにだんだん引きつけられていったのか、それとも最初から響いてくるものがあったのでしょうか?
A)どうだったのでしょう…。本が出版されるタイミングも、やはりひとつの恩恵、「与えられるもの」ではあったと思うのですが、当時は知識もあまりありませんでしたので、きちんと理解できてはいなかったですね。しかしそうしたなかでも、ここに書かれているのは自分のことであるな、ということが、一方では確信されていたと思います。根本経験があったはずです。何度も読み込むなかで、お互いに深められてゆく、そういう「真実の本」だったとは思います。現象学ですから、いまこの世界に自分があるという経験から出発して、自己と向きあい、他者と向きあい、世界と向きあうひとつの通路として、この本があったのだなと思います。

世界をどう捉えるか、哲学者の役割とは

Q)そうした形で考えますと、石田さんはご自分の学問を通して、いまこの世界をどのようにみていらっしゃいますか?
A)大きな問いですね(笑)。現代は確かに「神なき時代」ですとか、「宗教なき現代」といわれることも多いですが、他方、授業で若いひとたちと接していますと、霊性を非常に求めていたり、スピリチュアルな感受性が強かったり、昨今の若者文化のなかにも、彼岸的なものとか、神的なものとか、スピリチュアルなものへの問いや憧れが、強く表れているように思います。例えば『進撃の巨人』は、まさしく現代人の霊性への希求を反映している作品に思え、大変興味を抱き、アニメ版は一気に観ました。そうしたなかで、みんな、一生懸命もがいている。それに対して、宗教者や哲学者は何ができるのか、大学の役割は何なのかを、考えなければいけないと思っています。
Q)大学人は、若者たちと付き合っていながら、彼らの現実が分からなくなっていることが多いですよね。「若者」「若者」と、言い訳のように使用して、逆に物語りを搾取しているといいますか。石田さんはいま、学生/教員のマージナルなところにいらっしゃるかと思いますが、そうした視点からみえてくるものはありますか?
A)授業をしながら学生に向きあっていますと、向こう側から、かなりシビアに自分をみてくる、もうひとりの自分がいるんですよ。「この授業は面白いのか、われ」と。あの頃の自分を、納得させられるような授業をしたい、と思っています。いま音大でも、「音楽と宗教」というテーマで教えているのですが、この間、ハッとさせられるような問いが学生からありまして。「自分は無宗教なのだけれども、宗教音楽を演奏することもある。しかしそのときに自分は、一体何に向かって演奏しているのでしょうか?」と。非常に考えさせられることがたくさんあります。大学はいま、一体どこへ向かってゆけばいいのか。境界人としての自分は、学生とともに学びながら、そうしたことを肌で感じる経験をたくさんしているところです。
Hiroko Ishida photo
丁寧な口調でマリオンを語る石田さん。

「人を育てる」ことほど尊い職業はない

Q)ここまでお話をうかがってきますと、大学院へ進学されるのは自然なことだったのかもしれない、とも思えますが、それでもやはり、哲学専攻へ進まれるというのは、思い切った選択ですよね。
A)実は、大学院には初めから行きたいと思っていたんです。学部の授業のなかで、問いを深めてゆくにつれて、これは一生終わらないのではないかという危惧があったんですね。たとえ一度逃げても、必ずまた引き戻されるに違いない。自分のなかで哲学的な問いを問わなければ、満足して死ねない、満足できないだろうと、そういう予感がありました。
Q)それでは必然的に博士課程も、ということなんですね。
A)はい、研究が終わらないというか、終わらせてもらえないといいますか。
Q)先ほど、別の道に移ることを、「逃げる」と仰ったのが印象的でした。しかし哲学の場合も、大学以外の場に身を置いたほうが思考が深まる、という場合はありますよね。それでも大学という場にあったほうがよい、とお考えになったのですね。
A)「人を育てる」ということにも興味があったんです。これほど尊い職業はないのではないかと。両親が高校の教員でしたし、わたし自身よい先生に恵まれ、見出してもらったという経験がありますので。ひとを育てる、ひとと問うということを、研究とともにできたらよいな、とずっと思っていました。ひとを育てる、そのなかで自分も育てられる、そういう一生を貫く仕事を、研究とともにできたらと。
Q)ではいまは、理想へ向けて着々と、ということなんですね。
A)そうですね、他の道を歩む強さがなかったのかもしれませんが(笑)。
Q)初めての研究会報告、学会報告については、覚えていらっしゃいますか?
A)はい、緊張しましたね…! 上智大学哲学会が初めてだったんですが、内輪とはいえいろいろな方が聞きにいらっしゃるので、メチャメチャ緊張したんですが。ただ、総合演習という授業でプレ発表がありまして。その場で鍛えられましたので、何とかこなせましたけれども。
Q)時間はどのくらいでしたか?
A)報告30分、質疑応答15分で、標準的なところだと思いますが。
Q)でも、哲学や思想の発表となると、なかなかその時間では語り尽くせない、意見交換もし足りないんじゃないですか?
A)そうですね。そもそも問いを共有する前提が整っていないので、どこから始めたらいいのか…という点もありますね。

社会とともに、社会のなかで

Q)さて、どうやら時間になってまいりました。おかげさまで、石田さんと同じように、孤独に問いを抱えている若いひとがこれを読んでくれたら、「あっ、こういう道があるのか」と、思ってくれるかもしれないインタビューになったと思います。最後に、大学院へ入ろうか迷っている、あるいは大学院へとくに関心がないひとにも興味を持ってもらえるよう、何かメッセージをいただけますか。
A)大変ですね(笑)。どんなひとにも、「やるべきこと」があると思うのですが、それをいかに見出すのか。その行程は苛酷なもので、もちろん乗り越えるのは簡単ではありませんが、あえて向きあってゆくことが大切です。いま、「何をしたらいいか分からない」と思っているひとこそ、そうした問いを心の内に抱えているのではないでしょうか。哲学という学問は、そういう方にこそ向いている、学んでほしいと思います。学部だけで満足できない方は、大学院へ進んでください。とくに最近では、一度外へ出られて、戻っていらっしゃる方も増えましたし、そうした経験のなかからでないと、みえてこないこともあると思います。大学院はそうした方のためにもあるべきですし、社会とともに、社会のなかであり続けることが、危急の課題であると考えます。
Q)なるほど。それは哲学を学んでいる方々すべてが、共通してお持ちの問いであり、思いかもしれませんね。今日はお時間をいただきまして、ありがとうございました。
A)こちらこそありがとうございました、こんなのでよいのかな(笑)。

  1. ……現象学の用語で、客観的実在性のない主観的表象をいう。 ↩︎
  2. ……エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』の第1章にて、書物が、人間の存在のあり方と不可分に結びついたものとして語られている箇所がある。 ↩︎
  3. ……ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)による思索の断片が、死後にまとめられた主著。自己への深い省察、個人と共同体の関係、他者の問題にわたり、多くの箴言を含む。 ↩︎
  4. ……マリオンの主著。神をただ「与えるもの」と論じ、形而上学(人間の思惟)に取り込まれない形で、その超越性を定義する。 ↩︎

院生室探訪(1)

中央図書館には、文学研究科の各専攻ごとに、所属の院生たちが自由に使うことのできる研究室(院生室)が存在します。それぞれの専門研究に必要な独自の資料を備え、院生個人に割り当てられた机やロッカーを配置し、院生たちが日々研究報告の準備や学術論文の執筆に打ち込む。まさに、院生生活の主要な舞台となる場所です。今回は、初期掲載のインタビュー記事と連動し、哲学専攻・史学専攻・国文学専攻の院生室を紹介します。
哲学院生室
全景奥より。西窓側にたくさんの個人ブース、東側に書棚が並ぶ。静謐な雰囲気が漂う。
書棚
厖大な原書の蔵書群の一部。一生かかっても読了できそうにない。
辞書群
各言語の厖大な辞書群。哲学書を原文で読解する際の頼もしい味方。
哲学専攻研究室の特徴は、個人用研究机が整っていること、主立った一次文献が図書館の蔵書とは別に揃っていることで、院生の研究に資するところ大です。蔵書の管理は図書委員が担っていて、毎年新たにどのような書籍を購入すべきか、話しあって決めています。哲学専攻院生会という自治組織があって、院生たちが独自にこの部屋を運営しているわけです。本学哲学科の刊行する『哲学科紀要』、上智大学哲学会の機関誌『哲学論集』のほか、院生が独自に編集・刊行する『上智哲学誌』もあり、早くから議論を深め、批判にさらされるなかで、院生の力が非常に充実しています。個々の院生たちが独自に開催している読書会、研鑽の場である研究会も複数あって、みな直接自分の専門に関係ないところへも顔を出し、活発に意見交換していますね。インプットとアウトプットのバランスがとれている感じです。そのなかで、教員の研究に対する反抗心や、仲間への批判的精神も、しっかり培われています。〔石田寛子さん紹介〕
history room
静謐な雰囲気のなかで、ひとりひとりが文献にかじりつく。
文献が詰まった書棚。歴史学は史資料なしに始まらない。
自治組織の史学専攻院生会があって、書籍の選書・購入をはじめ、院生室の自治を行っています。書籍はやはり、日本史・東洋史・西洋史の古代から近現代まで、非常に多岐にわたって厖大なものがありますね。図書館の書庫にないものも含まれていて、学部の学生にも利用してもらっています。PC、複合コピー機、スキャナーなど、便利な機器も充実しています。院生の数は一時期より少なくなってしまったので、以前刊行していた院生のみの雑誌『紀尾井史学』は休刊状態なのですが、他専攻と協働で運営している上智 Sapientia 会の『紀尾井論叢』には、史学専攻の院生の研究がコンスタントに掲載されています。また、上智大学史学会や機関誌『上智史学』も、教員と一緒に運営しているので、院生の成果発表の場になっています。〔新井梨予さん紹介〕
やはり本の海。大友さんも当初、圧倒されたという。
国文学専攻の書籍量は、他の研究室より一際多い印象。

国文学専攻研究室の特徴は、とにかく本が多いことですね。他の研究室とは、書棚の棹の数が違うと思います。選書は教員と話しあって決めています。自治組織として院生会はありますが、書籍や機器その他院生室の管理全般を担うのと、あとは懇親会などの担当でしょうか(笑)。毎年4月に、学部の新入生を対象にした、図書館や院生室のオリエンテーションなども行っています。院生独自の研究雑誌はありませんが、上智大学国文学会を教員と協力して運営していまして、機関誌の『国文学論集』には、院生たちも多く執筆しています。国文に入ってくるひとはもれなく本好きでしょうから、居心地は最高によいと思います。〔大友あかりさん紹介〕