【英米文学専攻】ディストピアの「救いのなさに救われる」。


杉田真衣 さん

博士前期課程英米文学専攻



カズオ・イシグロの難解さをひもとく

Q)今日はお忙しいところありがとうございます。まずは杉田さんのご研究を、一般の方々や、とくにこれから大学院に進学して勉強してみたいと思っている人たちに対して、魅力的にアピールしていただけますか。
A)わかりました。わたしは、カズオ・イシグロという作家の作品について研究しています。卒業論文では、『わたしを離さないで』(以下『わたし』と略記)という作品をとりあげましたが、修士論文では、『遠い山なみの光』(以下『山なみ』と略記)に取り組みたいと思っています。
Q)両方とも映像化されている作品ですね。
A)そうですね。ちょうど今年、『山なみ』の映画が公開されていますね。わたしがイシグロに出会ったきっかけは、英文学科の松本(朗)先生の授業だったんです。イシグロはとにかく、人間の記憶のあり方とか。人間がどういうふうに、意識的または無意識的に記憶を隠蔽したり改竄したりするのか、そういうことにかなり深く切り込む作家で。わたしは大学に入るまで、そういうことを意識したことが一切なかったので、人間の記憶ってここまで複雑なものなのか、自分でも意識せずに忘れようとしていたり、改竄してしまったりすることがあるんだと知って。いままで知らなかった自分の内面を言語化して知っていくみたいな、そういう楽しさを覚えたんです。
Q)そういう体験を、一般の方々にもぜひしていただきたい、ということなんでしょうか。
A)そうですね。一般の方が読むと、ちょっと難しくて何を言っているのか分からないという作家でもあるので。わたしは、イシグロがどういう作家でどういう手法を使ってどういうことをしたいのか、それをある程度知っている状態で読んだので、「なるほどこういうことか」と読んでいるうちに分かってきたり、「ここに何かイシグロの言いたいポイントが詰まっているんじゃないか」と自分で察知できるようになってきているんですけど。個人的には、とくに『わたし』は、一般の方でも引き込まれるところがかなり多い作品かなと思っています。『遠い山なみの光』はかなり難解で、表層の部分だけを掬っていくような描き方をするので複雑なんですけど。『わたし』のほうは、主人公がすごく歪んだディストピア社会にいるのに、その社会の本質に気づいておらず、自分は人間性を持っている普通の存在だと信じ込んでいる状態ではありますが、恋愛とか友情とかいままでの人生で起きたことを情緒溢れる語り口で語る部分は、リアリティに溢れていて一般の人にも刺さるんじゃないかなって思っています。
Q)実はぼくも歴史学者で、歴史の改竄や集合的忘却の研究をずっとしているので、カズオ・イシグロの問題意識は非常によく理解できるところなんです。やっぱりいま、例えばプーチンの歴史政治にしても、集合的な歴史を故意に歪曲・喧伝することによって、一般に信じさせるようなことが行われていますし、ポスト・トゥルースの社会のなかで、SNSなどでも毎日その種の言説が繰り返されているわけですよね。そういう意味ではカズオ・イシグロの作品は、いまこそ現代への警鐘として読まれる価値があるますよね。しかし一方で、やっぱりいまお話しされたように、一般の方が読むには難しいところがあるとすれば、その意義や重要性をどう社会へ分かりやすく届けるかも、もしかしたら研究者の大切な仕事かもしれないですよね。杉田さんはアカデミアに足を踏み入れたばかりだと思うのですが、最終的にどうでしょうか、将来目指されているところはありますか?
A)難しくて手を出せないという方を減らしたいな、とは思います。例えばNHK教育の『100分 de 名著』などをみると、すごく難しそうな本でも手に取ってみようかなと思える教え方をされているので、そうした取り組みができる研究者になりたいですね。

ひとの思考のオリジンを辿る

Q)なるほど。学部のときには、「イギリス文学と教育」のような学部生シンポジウムに登壇されたと伺っていますが、やはり教育にも関心をお持ちなんですね。
A)そうですね。わたしは、「どうしてひとはそういうふうに考えるようになったんだろう」とか、「どうしてそういう思想を持つようになったんだろう」ということについて考えるのがすごく好きで、家庭環境だったり学校の教育だったり、何かしらオリジンみたいなものが絶対にあると思うので、そこを理論化して説明できるようになりたいなとずっと思っているんです。卒論も、最終的な結論は別のところにあったんですけれども、第1章では教育に目を向けていて、そこからスタートしたところがありまして。わたしはそもそも卒論で、『わたし』とジョージ・オーエル『1984』を比較して書きたいなと思っていたんです。そのきっかけは、『わたし』読んでいるとき、「どうして主人公は、死に対する恐怖を一切感じていなくて、すごく呑気でいられるんだろう」という理解できなさを感じ、その原因を辿っていったことです。そこから、ヘールシャムというキャシーが育った寄宿学校の教育に、何か歪みがあるんじゃないかと思えてくるんですが、キャシーは自分が置かれているディストピア社会の本質を見抜けないように洗脳されている語り手なんですね。でもわたしは、『わたし』を読む前にオーエルの『1984』を読んでいまして。「『1984』の主人公のウィンストン・スミスは、キャシーとは違い、どうしてディストピア社会に抵抗しようって思えたんだろう」って、そのあたりの差が見えてきたわけですよ。それで、もう1回『1984』を読み返してみたら、ウィンストンは過去に、母親や幼い妹と無理やり引き離された記憶があるんですね、それを夢のなかで反芻する描写があって。そういうふうにディストピアに至る前の、人間が自然に情緒的関係を築いていた、過去の時代の何かしら片鱗みたいなものが自分のなかにあると、それと比較して現状のディストピア性が見えてくるじゃないですか、やっぱりこれおかしいって思えるので。でも、キャシーの場合はそうじゃない。じゃあなんでだろうって考えていくと、彼女は生まれた時からディストピアしか知らないから、こうなってしまったんじゃないかと。そういうふうに人の思想とか価値観、考え方の源泉みたいなところを辿っていく楽しさを、常に持っているんです。
Q)比較対象として、自分のなかにあるオリジンの欠片というか、そういうものがあるかないかで生き方が変わってくる。しかし、何もないひとは従順なだけなのかというと、多分そうではないだろうと思うんですよね。そういう抵抗がどう生まれてくるのか、すごくいま大事なところだと思いますね。

ディストピアのなかの希望

Q)アトウッドの『侍女の物語』にしても、貴志祐介の『新世界より』にしても、『わたし』とよく似た、歴史と記憶に関わるディストピアの物語が、ある時期から内外で多く発表されているように思います。ポスト・トゥルースの時代を反映しているのでしょうが、しかし絶望ばかりではなくて、そのなかに何らかの希望を見出せるようにしている気がしますね。
A)そうですね。加藤めぐみさんが、『侍女の物語』をポスト・ヒューマンの文脈で説明されているのですが、『わたし』をポスト〜といいきれるのかは少し疑問なんですね。やっぱりディストピア小説が成り立つのは、何か人間のなかにディストピアと相容れない人間性の本源みたいなもの、捨てられないものがあるからなんだろうと思うんです。『わたし』に関していいますと、人間的な部分と非人間的な部分を行き来している、あわいに立つような存在=クローンについて描いているのですが、けっこうその人間的な語りが前面に押し出されているように感じるんですよ。だから一般の方も、一応最後までは読み切れる人が多いはず、なんかちょっと面白いし共感できるところもあるしっていう。でもやっぱり根底のところにはディストピアから逃げ出そうとしない、なんかちょっと人間的とはいいきれないような、受動性とでもいうべきものもある。一方で先生が仰ったように、ディストピアに完全には屈服しない、無意識的にでも抵抗してしまう本能のようなものも、部分的に描かれている。作家や作品によって違うと思うのですが、その対比性がディストピアの特質を浮き彫りにしていくので、大事だなと思います。
Q)『1984』なんかもそうだと思うんですが、ディストピアに対して最終的に革命のようなものが起こるという、ある意味ではマルクス主義的な物語の作り方と、結局ディストピアを受け容れていかざるをえない、そのなかでしか生きていけないという人びとの弱さをどう考えるのかという深さ、慈しみがあるように思うんですね。例えば戦争や震災の後に、「忘れるな」の大合唱が響いてきますけど、本当に辛い体験をしたひとは忘れなきゃ生きていけない、正対したら生きていけないところがある。とすれば「忘却」は優しく大切なものだし、かといって社会全体が忘れてしまえば同じようなことが繰り返されるかもしれない。いちばん弱い人びとが生存していくためには最低限何が必要なのか、何を許して何を許しちゃいけないのかということを、最終的に問おうとしているのかなという感じがするんですよね。
A)まさにそうですね。弱い立場のひとに寄り添うと口でいったら簡単ですけど、その方法をちゃんと理解しているひとってなかなかいないんだろうなと思って。わたしも大学に入ってそういうことを学んで、 例えば忘れるだとか、ある程度嘘をついてでも嘘混じりでも人に話すとか、それで自分の記憶をある程度改竄していくとか、そういうことが必ずしも悪いことじゃなくて、むしろそういうトラウマ的な出来事と自分との折り合いをつけていくみたいな、そういうことをイシグロはかなり中心的に描いていると思うので。『山なみ』もそういう小説で、主人公=語り手の悦子が自分の都合のいい記憶だけ引き出して、都合の悪い部分はちょっとねじ曲げたりとか、そういう語りをするんですけど。映画のほうもちょっと観たんですが、最後のほうとかかなりホラーっぽい演出が多くて、ちょっと怖いな、暗いなって思わせるような描写が多いんです。でもわたしは、その暗い過程を踏み台に、未来への一歩を踏み出すっていう描き方を、イシグロはしているんだろうなと思って。総合的に見たらすごく暗い小説であるように見えるんですけど、でもイシグロは、むしろ希望の一歩として描いてるんだろうなと思います。
文学研究科委員長室にて。少し緊張気味に話が始まる。

主観は意外と理論的に説明できる

Q)そもそも杉田さんが、大学院に進んで研究を続けていこうと思われたのは、ちょっと自己物語化になっちゃうかもしれないのですが、どういうところに画期があったのでしょう?
A)もともと中学・高校のときとかは、飛び抜けて勉強ができたというわけでもなく、むしろ劣等感しかなくて。周りはなんでこんなにできるんだろうとか、自分の嫌な部分ばっかり見えていました。別に高校教育を否定しているわけではないんですが、やっぱりどうしても受験のための勉強になってしまうじゃないですか。短期記憶ですぱすぱ効率よく覚えて、それをいかに使って点数を取っていくか。自分はそういう勉強法にずっと違和感を覚えていて、もっと長期記憶的に勉強したいなとか、世界史の用語集を読むよりも世界史の史料集を読んでいるほうが好きとか、もうちょっと深く物事を考えるほうが好きだし向いてるなとずっと感じていて、その欲求が満たされたのが大学だったんです。大学に入って、1時間が100分の長い授業でじっくりと作品を扱ったりとか、そういうところが私にはまったというのもひとつですが、他にも先生方が素晴らしすぎて。本当に先生方の授業で人生変わったなって、いつも思うんです。
Q)こちらのインタビューに出てくださる方は大体そう絶賛されるので、僕はつまんないなと思っているんですけど(笑)、本当なんですね。
A)気を遣っているわけではないんです(笑)。 すごくよく覚えているのが、大学に入って1回目の授業。初めて文学の講義を受けたときに、いままで文学を勉強したことがなかったので、読書感想文みたいなリアクション・ペーパーを提出したんです。ここが面白かったとか、そういうことしか書けなかったんですけど、評価が返ってきて、確かCとかだったんですよ。何でだろうと思って。本の解釈の仕方なんてひとそれぞれ違うので、どうやって評価しているんだろうと疑問に思っていたら、先生がその次の授業でフィードバックをしてくださって。文学の分析の仕方について、初歩の初歩を見せてくださったんですが、それが意外と科学的だったところが、何だか刺さってしまったんです。「面白かった」の一言だと、自分の主観に過ぎないじゃないですか。主観を超えて、そこからどう理論的に説明して他人に伝えられるか。まずはその自分の主観がどこから生まれたのかについて、テキストの細かいエビデンス、データを蓄積していって、問題の語句や表現が一箇所だけではなく、他にもいろいろなところに散りばめられているのを確認するとか、作家自身の思想を調べてみるとか。他にも、一人称語りだったら、訛りから人物の階級が読み取れたり、話題の選び方から思想が見えてきたり。エビデンスって、調べたら調べるだけ出てくるので、そういう作業をして、自分の主観を理論的に組み換えていく、他人に説得的に説明できるようにするっていう、そういう文学分析の仕方を教えてくださったんですね。もう目が覚めたというか、主観って意外と理論化できるんだって。自分のなかでいままで閉じ込めていた感情が、意外とひとと共有できるんだっていう可能性を知って、目が覚めた感じがしました。
Q)いいお話ですね! フィードバックって、やっぱりちゃんとしなきゃいけないんだ…。杉田さんが、中学とか高校のときにもやもやしていたものって、自分が思っていることや考えていること、それが正確にひとに伝わらなかったり、あるいは自分自身でそれをどう表現するのか、言葉とか方法とかがあまり分からない。そういうところで自分自身を表現できないし、相手にも伝わらないしで、いろいろもどかしい思いをずっとしていたっていうことなんですかね。
A)ずっと孤独感があって、ディスコミュニケーションなんですけども、本当に完全に自分が独りになっていて。自分のなかで消化しきれない感情があるのに、それを表現したら、人を傷つけてしまう言い方になるんじゃないかとか。気を遣ったりとか、単純にこんなことを考えている自分は恥ずかしいと思ったりとか、そういうことばっかりだったんですけど。でも、どうして自分がそういう感情を秘めたいと思っているのか、隠したいと思っているのかっていうことすら、言語化できるっていうことに気づいて。いま言語化の孕む暴力性や危険性も学んでいるところなので、一概にはいえないですけど、そういうふうに自分を表現する術みたいなものを、文学の研究を通じて教えてもらった気がします。
Q)杉田さん自身の、言語論的転回ですね。中学・高校は孤独だと仰ったんですけど、友だちでも教員でも、やっぱり同じ問題意識を共有できる仲間は、あまりいなかったんでしょうか?
A)そうですね。そもそもわたしが、そういうもやもやを抱えていることを恥としていたので、隠していたわけですね。こういう教育ってどうなんだろうとか、先生にはもちろん同じように受験を頑張っている子たちにもいえないし、そもそも自分の勉強の仕方にも自信がなかったので。言語化したいとすら思わなかったんです。
Q)でも、それではなぜ英米文学を専攻に選んで、上智大学に来られたんですか?
A)単純に本を読むのが好きだったからで、すごく深い理由があるわけではなかったんです。英語はもとからちょっと得意で、高校時代はそこにアイデンティティを見出しているところがあって。英語だけが得意で、ほかは本当に一切苦手だったので、自分には英語しかないと思っているところもあって。でも、その英語もどんどんほかのクラスメイトに抜かされていって、すごくしんどかったんですけど…。でも物語については、「赤毛のアン」シリーズとか、「ハリー・ポッター」シリーズとかも大好きで。ハリー・ポッターとかはもう読みすぎていて。
Q)自分の本心を隠しながら、建前的なところで選べる進路が、とりあえず英米文学だった。そうすると、そこでいまの展開に出会えたってというのは、すごく幸福なことですよね。
A)幸運だったと思いますね、偶然に過ぎないのですが。英米文学の方向に進もうっていうのは、受験の当時から決めていました。どの大学を受けるにせよ、英米文学科に絞っていたんです。上智大学に絞ったのも正直なところ、自分が合格できそうなレベルで一番高いところを目指そうっていうだけだったんです。だから、本当に入ってみてびっくりしました。大学に入ったらサークルとか入ってみようかな、大学生っぽくいろんなカフェに行ったりとか、そういうキラキラした生活を送ってみたいなとか思ってたはずなのに、入ってみたら勉強が楽しくて。わたしはサークルよりも勉強だと思って、本当に没頭してしまって。授業が終わった後も、プリントを読み返して先生が仰った言葉を書き留めて、こういう言葉の使い方があるんだとか、先生の話し方から学ぶところがあったりとか。どんどん道が開けていったのも、まさに幸運だったなって思います。
Q)指導教員の先生が羨ましいですね、こういう学生さんがいらっしゃって(笑)。そこで一気に花開いて、まさに世界が変わったっていう感じですね。
A)まさに世界の見方が変わりましたね。

「救いのなさに救われる」

Q)先ほど、カズオ・イシグロの文学にも大学の授業で出会ったと仰っていましたが、それまではまったく?
A)まったく知らなかったです。
Q)映画もドラマも観ていなかった?
A)はい、まったく知らなくて。
Q)では、数ある作家・作品のなかで、なぜカズオ・イシグロを選び取っていくことになったんでしょう?
A)それはもうディストピアだから、という理由に尽きます。カズオ・イシグロはディストピア作家というだけではなくて、いろんな小説を書いているわけなんですけど、とにかく授業で扱った「わたし」のディストピア社会がすごく刺さってしまって。
Q)それは、もう昔からの興味・関心で? あるいは大学に入ってからでしょうか?
A)大学に入ってからですね。中学・高校とかは、まさに「赤毛のアン」とか「ハリー・ポッター」とかそういう話が好きで。まあ完全なディストピアとはだいぶ違うと思うんですけど、ディストピアの「救いのなさに救われた」みたいなところがあって。生きているなかですごく辛いことがあったときに、その状況から完全に救われることってないじゃないですか、ほとんど。で、そういうところにすごくフラストレーションが溜まって、泣いていて。皆さんそうだと思うんですけど、いろいろ人間関係とか勉強について、自分よりももっとつらい人もいるはずなのに、自分がこんなに悩んでるのはそれこそ恥ずかしいとか、自分独りだけがこんなにきつい目に遇ってるんじゃないか、みたいに自己憐憫に浸ったりして、閉じこもっちゃっていたんですけど。そういうときに、「いや努力は報われるよ」とか「いまはつらいけどいつかどうにかなる」とか、そういう聞こえのいい言葉をいわれるのが耐えられなくて。より孤独感を抱いて、このひとはもうすべてそういう悩みから解放されてるからいえるんだって、生存者バイアス的な発言に思えてしまって。だから、そういう偽善の言葉で丸め込まないで、淡々と現実を突きつけてくれるディストピア小説に救われてしまって。「わたしが見たかった世界はこういうのだ」とか、「わたしがいってほしかった言葉はこういうのだ」っていうものが、ディストピア小説に詰まっていたのが、救われるというか、自分って独りじゃないんだなって思えたんです。誰にも教えてもらえなかったことを教えてもらったような、満足感や納得感がありました。
Q)なるほど。東日本大震災のあとに、ぼくも一時期文学が読めなくなったことがありまして。ずっと好きでいろんなジャンルのものを読んでいたんですけど、文学に書かれていることにまったく魅力を感じなくなっちゃったんですね。大事なことが書かれていると思えなくなってしまった。逆に、事実だけを淡々と追うノンフィクションを読んでいると安心したんです。もしかしたら、そういう経験とどこかで繋がっているのかもしれないですね。そういう意味でいうと、杉田さんが中高生のときからずっと抑圧していたものは、震災に匹敵するくらいの経験というか、ご自身のなかでは、それくらいの重みがあったことなのかもしれない。やっぱりそういうなかで、ディストピア、そしてカズオ・イシグロが一番心地よかったっていうことなんですかね。
A)そうですね、読んでもまさに心地よかったというか。あのときの自分が抱えていたフラストレーションは間違ってなかったんだな、孤独でもないし、別に恥ずかしいわけでもないし、それがある意味人間の本質みたいなものなんだなっていう、安心感みたいなのがありましたね。
Q)そうですよね。公明正大なものを見せられても、やっぱりその嘘臭さが際立ってきちゃうっていうことはありますよね。
A)結構ひねくれてたんだなって思いますね。ひねくれがこういう風に爆発してしまって(笑)。
Q)ディストピアにもいろんな描き方ってあるじゃないですか。マニアックな話になりますけど、1970〜80年代に未来の描き方が、手塚治虫的なバラ色の明るいユートピアから、例えば環境破壊が進んで酸性雨が降り続いているような、『ブレードランナー』的な陰鬱なイメージに変化してきた。もはや、そういうディストピアにしかリアルさを感じないようになってしまった。そうしたなかで、杉田さんが一番しっくり来る、心地よいディストピアっていうのはどんなものなんですかね。
A)まず、イシグロの記憶の歪め方っていうのはひとつ。やっぱり、心理とか記憶が関わってくるところですかね、リアリズム追求だけではなくて。 結構わたしは文学を心理的に、精神分析とかを使いながら分析するのがすごく好きなので。
Q)先ほども主観の話をされていたので、ディストピアを客観的に描き出すより、それを人びとがどう捉え、そのなかでどういう思いや感情を抱きながら生きているのか、そういうところに拘っていくわけですかね。
A)一言でいえば〈語り〉ですかね。ディストピアをどう語るかっていうところが。
Q)お、全部繋がってきますね。言語論的転回とか、ナラティヴの問題に。
A)ナラティヴの問題はもうとにかく深くて、人間のいま考えていることとか、過去に考えてきたこと、逆に、考えないように抑圧してきたこと、無意識的に刷り込まれる価値観、複雑な精神状態とかの表層部分が〈語り〉だと思っているので。だから、改竄された記憶とかも語りに表れますしね。『1984』と『わたし』の共通項としては、言語の改竄の問題が挙げられるんですが、『1984』にはニュースピークがありますし、『わたし』にもヘールシャムで言語を改竄して教育する手法が採られています。例えば、洗脳者側が「死ぬ」っていう言葉を使わずに「命を終える」とか「完了」と言い換えて、残酷さや痛ましさを排除するような書き方をしていたりとか。そういう言語の改竄や歪み、言葉が特定の語彙を失うことが人の思考にどう影響するのかとか、そういうところも〈語り〉に表れてくるので、一言でまとめれば〈語り〉です。その背後にある、語り手の脳のなかにある言語形態とか、あるいは心理とか、トラウマ的な記憶だったりとか。そういうものがぐちゃぐちゃに絡み合って現れるのが、〈語り〉だなと思います。
Q)面白いですね。杉田さんの興味関心が、全体としてすごく一貫性を持って成り立っていることがよく分かりました。
Q)では、語りに対する興味関心は、どのあたりから出てくるんでしょう?
A)やっぱり大学の授業ですね。それまでは、そもそも語りという言葉すら知らなかったんです。語りのタイプでも、わたしはイシグロ的な一人称語りが好きなんですけど、中学や高校で読んでいた本は、『赤毛のアン』も『ハリー・ポッター』も、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、三浦綾子さんの『氷点』とか、全部一人称視点じゃないんです。むしろ、一人称視点の本って読んだことあったかなっていうくらいだったので、新鮮味があったのかもしれません、こういう書き方もあるんだなと思って。一人称の語りって、すごく現実に対して忠実な書き方じゃないかなって思うんですね。 嘘が混じるぶんありのままというか、そういう書き方じゃないかなと。たぶんそこに大きな発見があったんだと思います。
Q)客観的な、第三者的な形で物事を描いていく書き方と、主観で描いていく書き方では、読者の経験がどう異なるのか。文学にはいろいろな分析方法があると思うんですけど、やっぱり杉田さんは、書き手のありようそのものを、自身も体験されていくことに関心があるのでしょうかね。
A)体験するというより、ひねくれているので、そこに突っ込みを入れたい感じはありますね。その世界に没入して新しい世界を見るというよりかは、どうしてこういう書き方になるのか、最初から結構批判的に読んじゃっているところがあるので。自分は常に世界を批判的に捉えているので、その見方と語り手の見方がどう違うのか、ギャップを見ていくっていう。
Q)例えば全身を包む服があって、誰か別の人の服だと認識はしているけど、それを着てみたときにどこにどう違和感があるのか。身体感覚も含めて確かめていきながら、その理由を追求していく感じですかね。ちょっとブカブカだなとか、ちょっときついなとか、そういうのを自分で感じながら、じゃあなんでそうなってしまうの?って。
A)カズオ・イシグロ作品以外にも、いろいろ援用できると思うんですよ。外在的にアプローチもしながらっていうのが楽しいなって、すごく思います。
話が転がり始めると、どんどん言葉が紡がれていく。

ディストピア文学の未来

Q)ご自身のことでも研究のことでも、未来とか将来を見据えていくっていうことは、まだあまりないんですか?
A)そうですね、とりあえずいまは、カズオ・イシグロに集中したいなと思っています。結構自分の好みを研究にしていると思うので、語り、ディストピア。 ディストピアのナラティヴについて。そういう方向性ではいきたいなと。でもやっぱり文学研究の面白さって、自分の好きなところだけを追求するのでは、満たしきれないところがあると思うので、他の文学とかも読んでよそ見しつつというか、違いを考えながら取り組んでいきたいです。
Q)先ほどもいいましたが、ディストピア小説って、時代や世界のありようと密接に関わっていると思うんですね。しかし、これほど世界そのものがディストピア化しているとき、これからディストピア小説ってどうなっちゃうんだろう?と。それでも必要とされるのか、あるいは、現実の苛酷さが度合いを増して、逆に文学の世界ではディストピアを描けなくなっていくんじゃないか。そのあたりはいかがですか?
A)そうですね。確かにディストピアとリアルの境目がどんどん曖昧になっていくところはあると思うんですけど、文学とリアルが完全に一致することはおそらくないと思いますし、ディストピアにもいろんな種類があるので、政治的な部分に焦点を当てるかとか、アトウッドみたいに女性に焦点を当てるかとか、いろんなディストピアの描き方があることを考えたら、そんなに完全に一致することはないんだろうとは思いますね。でも確かにアトウッドとかは「予言する作家」みたいになっていると思うので、 そういうふうに小説のほうにリアルが追いついてきているというか、現実が芸術を模倣するみたいな感じになっちゃいますけど、そういうことが実際に起こりうるんだなっていう怖さはかなり感じます。でも、ディストピア小説の描き方はまたどんどん変わっていくのでしょうし、小説にあるディストピア社会がいま現前したとして、そのなかで生きている人びとがさらにどんなディストピアを想像するのか、もう予測することができないですね。
Q)杉田さんが見ようとされているのが、人を通したナラティヴとしてのディストピアなんだとすれば、どのような時代・社会でも、ひとの数だけディストピアがありうるということですよね。極端なことをいうと、手塚治虫的な明るい未来こそがもうディストピアなんじゃないか、という捉え方もできるわけですもんね。
A)わたしの実体験としては、ディストピアを見たからこそ、自分のどういう要素が、自分を人間たらしめているのか実感できるところがある。いままでしんどいなとか、運ないなとか思いながら生きていても、ディストピアを見ると、簡単に言えば、自分ってすごく恵まれているなと。自分でも意識していないような、ある意味、恵まれてるがゆえに、意識せずに済んでいた根本的な問題が、自分を人間として存在させていることに気づくことがあります。

文学は誰にとっても「役に立つ」

Q)大きな話ですが、人間存在にとって、なぜ文学が必要なのかという点はいかがでしょう。
A)逃避先みたいな、避難所みたいなふうに、わたしは考えています。
Q)アジールですね。
A)中学とか高校のときに、『赤毛のアン』や『ハリー・ポッター』にはまっていたのは、そのときたぶん辛かったからなんだろうなって思います。現実が辛い、現実を見たくないと、どうしてもそういうハッピーエンド的なものにすがりたくなる。大学に入って逆にディストピアに向かっているのは、たぶんいまは自分の生活に満足してるからなんでしょう。二つの読書傾向の共通点を見ていくと、どっちもある意味逃避先になっているなって思います。中学・高校は辛い現実から逃げるために本を読んで、笑って現実のことを忘れてっていうことをして、大学ではいままでモヤモヤしていたことを発散させる先で、自分は独りじゃないし過去も独りじゃなかったって、これまでの自分を肯定するためのよりどころみたいなものとして、避難所みたいな感じで捉えてますね。どんな状況に置かれても、文学の世界を探れば理解者が見つかる、という希望もありますね。
Q)人間があらためて人間になるために必要な媒体というか、そういう感じなんでしょうかね。
A)まさにイシグロは、そういう辛い現実にどう折り合いをつけていくか書いている作家でもありますし、イシグロ自身も文学として表象することを通じ、自分の職業としてそれを体現しているみたいな。どの作家も誰かにとっての避難所、そういう存在なのかなというふうに思いますね。
Q)避難所っていうのはそうなんだろうなと思うんですけど、杉田さんにとっては文学自体、同胞みたいなものなのかもしれませんね。
A)そうですね。
Q)先ほど、かつては同じ問題意識を共有できる仲間がいなかったと仰っていましたが、そういう杉田さんにとって、文学こそが同胞として常にあって、だからこそ一人称で語ることが大事なのかもしれない。
A)確かに、自分が感じていることをうまく言語化してくれているキャラクターに出会うと、親友に出会ったような気がしたりするんですけど。でも面白いなと思うのが、現実の状況と逆行するような話を好む性質が自分のなかにあって、だから中学とか高校とかすごく鬱屈とした時代には、ハリーポッターみたいなヒーロー的な像に憧れたりとか、ある種同一化しようとしているところもあると思うんですけど、赤毛のアンみたいに常に明るくて人を笑わせてみたいな、何か失敗してもうまく乗り越えてっていうキャラクターのことを読んで、あ、いいなって憧れるところもあって。逆に、いまディストピアの世界に生きているキャラクターたちを見られるのは、自分が過去のことをある程度割り切れているからなんだろうなって思って。でも同じような体験をしている人を見ると、過去の自分が救われるみたいな、過去の自分を含めたいまの自分も救われるみたいな、 そういう体験があるなと思うので、同胞でもあり、まったく逆の精神状態にいる相手でもありって、ちょっと二重的な感じがします。
Q)場合によってはハリーポッターも、今後、中学・高校のときに見ていたものとは違う視点で向きあうことになるかもしれないですね。例えばハリーの特別性って結局は血なのかって考えると、やっぱり「世襲」の話でそれなりにディストピアですよね。
A)わたし、大学に入ってから一番好きだなって思うキャラクターが変わって、それがロンになったんですよ。ハリーの影に隠れて、いつも自分が注目してもらえない。それをついに最終巻で爆発させてしまうっていう。もうその感情のはけ口がいつまでも見つからないみたいな。ああいうロンがすごく好きで、だからそういう読み方が変わるっていうのはあるなと思います。
Q)もうなかなか、終わらない文学談義になってきました(笑)。作品やキャラクターについて話していると、いつの間にか向きあったひととひととの話になっている。文学談義を通じて、相手が何を考えているのか、だんだん分かってくる。
A)いま、理系・実学ばかりがもてはやされていて、大学院で文学なんか研究して何の役に立つのっていわれますが、理系のひとも文系のひとも、人間であることには変わりないじゃないですか。その人間がいかに複雑に、さまざまな要素が絡んだ存在なのか、その要素のオリジンがどこにあるのかとか、そうした個人の問題が、いかに社会に反映されていくかとか、人間について学ぶことは誰にとっても大切で、面白いことだと思うんですよね。
Q)それをこそ、今後杉田さんが、英米文学の研究を通して、一般社会に発信してゆくところなんでしょうね。
A)そうですね、そうかもしれない! わたしがいいたいのは、文学はいかにひとの役に立つかということなんです。他の意見を受け入れようとする心持とか、自分のなかの混沌を整理するための実践的な方法とか、自分の考えをわかりやすく、説得的に相手に伝えるための、言葉の操り方だとか。自分自身や、他者、社会との間の軋轢を和らげる方法を教えてくれると思います。
Q)頼もしいですね! われわれより上の世代の人文学者だと、「役に立たないところが素晴らしいんだ」と逃げちゃうところなんですが、杉田さんの世代の研究者が、胸を張って「役に立つ」といってくれると、ぼくらも頑張らなきゃなと思います。最後に、何か話し足りなかったことなどはありますか? とくに、これから大学や大学院に進学するひとたちに。
A)そうですね…。先ほどもお話ししたとおり、わたし自身そうだったのですが、中学や高校での勉強が肌に合わなくても、大学で勉強の面白さに気づくこともあるので大丈夫ですよ、とはお話ししておきたいですね。
Q)中学や高校で辛くても、大学まで来れば本当にやりたいことが見えてくる、世界が開けてくることもありますよ、と。それは実体験ですもんね。
A)中学や高校の先生にも、本当に感謝はしているんですけれども! カリキュラムや制度の問題ですね。逆に、高校で成績がよかった友人たちのなかで、本当の目標を見つけられないでいる子もときどきみかけるので。だから、そんなにテストの点数ばかり気にするなよって。
Q)教員も、テストの点数ばかりみずに、生徒さんの人間をきちんとみてくれよってことですかね(笑)。今日は本当にありがとうございました!
A)ありがとうございました!

【国文学専攻】「1000年経っても、鳥肌が立つ言葉」 に出会える。


大友あかり さん

博士後期課程国文学専攻



古典の言葉は、どうしてこんなに美しいんだろう

Q)まず、大友さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)『夜の寝覚』という作品の読解に取り組んでいます。これは、『源氏物語』以降に作られた物語なのですが、『源氏』の模倣に過ぎない作品だ、という評価をされていた時代もあったんです。でももちろん、『狭衣物語』や『浜松中納言物語』、そして『夜の寝覚』といった平安後期の作品には、実際はそれぞれ独自の面白さがある。そのなかで、『夜の寝覚』が『源氏』を受け取りつつも、どういう独自の言葉や表現を使って新しい物語を作っていこうとしたのか、というところに面白さを感じて。いまその言葉の世界に注目して、作品の独自性を探る研究をしています。
Q)大友さんの歴史のなかで、古典文学を学びたいと思われたのは、いつの頃なんでしょう?
A)すごく遡ると、小学校2年生のときですね。担任の先生が、国語教育にすごく力を入れている方で。百人一首を覚えさせてくれたんですね。最初は文法も何も分からないので、暗記をするだけだったのですが、ある日、母に買ってもらった百人一首の小学生向けの解説書で、初めて現代語訳をみたときに、「あれっ、なんかすごいキレイなんじゃないか」って思って。それから、よく分からないけど、日本の古典文学ってすごく美しい言葉だな、と思ってまして。その感覚が、ずっと高校になるくらいまで続いていて。なんでこんなに美しく感じるんだろう、どうしてこんなに美しい表現を用いるのか、どのように表現しようとしているのか…というところに興味を持って、勉強してきました。
Q)これまで何人かの院生さんの話を伺ってきて、小・中・高の先生の影響は大きいのだとあらためて思ったのですが、やっぱりいい先生でしたか?
A)そうですね、すごくいい先生に出会えたと思っています。
Q)そして、物語としての内容より、まず先に言葉の美しさなんですね。
A)小さい頃から本は好きで、自分でお話を書くのも好きだったので、そういう意味での物語の関心と、古典の言葉への関心が、いま合致しているのかもしれないですね。
Q)確かに、上智の国文学科は、物語の解釈より、テクストに使用されている字句や語法、表現を重視して研究されている先生方が多いですよね。そういう意味では、大友さんの関心とうまく合致していたのでしょうかね。
A)はい。
Q)そのあたりのことは、意識して入ってこられたんですか?
A)そうですね、上智の学部を選ぶときに、もともと他の大学でも日本文学科しかみてこなかったんですが、古典の教育をすごく大事にしているな、という印象がありまして。古典を堅実に学ぶことができる大学だな、と感じたんです。その古典のうえに、国語学や漢文学、近代文学を学べる。それがすごくいいな、と思って入りました。
Q)すごいアピール(笑)。では、かなり意識的に上智を選ばれたんですね。実際に入ってみていかがでしたか。
A)あ、ほんとに、いい大学だなというふうに(笑)。
Q)いやいや、批判的に仰ってくださっていいんですよ!
A)いえいえ(笑)、これは本当に思っていまして。とくに、先生方おひとりおひとりが、本当に丁寧に教えてくださるので。
Q)なるほど、個性的ですばらしい先生方がいらっしゃいますからね(笑)。
A)(笑)

心理を精緻に描き出すために、どんな言葉が用いられるか

Q)話を戻しますが、そうして大友さんにとってすばらしい環境で古典を学ばれるなかで、『夜の寝覚』に注目されたのは、やはり卒業論文のときだったんでしょうか?
A)そうですね、きっかけは卒業論文でしたが、卒論でとりあげたのは『更級日記』だったんです。卒論を終えて修士課程に入った段階では、菅原孝標女が物語を書いたか否かにすごく興味がありまして。『浜松中納言物語』と『夜の寝覚』が同一作者か否かという研究を本当はやりたかったんですけど、ちょっとまだ難しいということで。まずは『寝覚』をきちんと読んでみよう、ということで『寝覚』の研究をスタートしたんです。
Q)なるほど。『寝覚』の作者が孝標女かどうかは、大命題ですもんね。最終的にはそこへアプローチしたいということなんですね。
A)できれば…考えてみたいところです。
Q)もともと、孝標女には関心をお持ちだったんですか?
A)もともとテーマを選ぶときは、日記文学をやりたくって。最初は『蜻蛉日記』をやろうとしたんですが、ちょっとわたしの気持ちが入り込まなくって。そこで、本廣先生1から『更級日記』を勧めていただいたら、バチッとはまったというか、すごく面白くて。
Q)確かに、いま伺ってきた大友さんの「歴史」は、孝標女にとても重なりますね。
A)そうですね(笑)、千葉出身だったりしまして2、親近感はありますね。
Q)『更級日記』を読まれることは、孝標女がどのような人物だったのかを考える、ということとも繋がるんでしょうか。
A)『更級日記』の面白いところは、物語をどう捉えているかに収斂されると思うんですが、孝標女が作家だったかどうかは、『更級日記』の読み自体を大きく変えるのではないかと。
Q)なるほど! ではやはり、『更級日記』の読みを深めてゆくために、『夜の寝覚』や『浜松中納言』に対峙されていると。
A)そうですね、でも実はいま、『夜の寝覚』が思いのほか面白くて。いま、そちらを軸にした研究になっています。
Q)『寝覚』のほうは、どこに面白さを感じられたんでしょう。ご自分のなかで、何か響くものがあったのでしょうか。
A)『寝覚』は、先行研究でも、女主人公の心理描写がすごく緻密だというところが、高く評価されているんですね。実際わたしも読んでいて、ほかの平安文学にはない心理の突き詰め方というか、辿り方をしているところがすごく面白いなあと思っていて。現代の恋愛小説にも通じる心理描写なんですね。そこにある意味、いちばん共感したんですかね…。
Q)そういう意味では、日記文学に近いところがあるのかもしれませんね。
A)ああ、そうかもしれませんね。
Q)内面の心理描写が綴られてゆくことに、さきほどの、「言葉の美しさ」が関わってくるんでしょうか。
A)そうですね! 「美しさ」かどうか分からないんですが、生々しい感情というか、リアルな感情を写し取るために、どういう言葉を使っていて、どういう展開を言葉で表現しているのか、というところが面白いと思っています。
Q)確かに、心理をどんな言葉、表現、文体で表すか、そういう書記言語をどう作ってゆくのかは、平安時代で深まっていったことなのでしょうね。『源氏』をひとつの画期として、そのあとどうなってゆくのか。われわれの言葉がどのようにできてゆくのか、言葉の歴史としても非常に重要な問題ですね。

「美しいものを美しいままに描き出せる表現を知りたい」

Q)いま、心理を表す言葉が生み出されてゆくという話が出ましたが、物語にも、そこに書かれている内容を通じて、初めてもやもやした自分が整理できる、「ここに書かれているのは自分のことだ!」と共感し、そこからあらためてアクションを起こしてゆくことができる。そんな機能があるように思います。1000年前の物語にも、そうした役割があり、そうした読者たち、そして書き手たちがいたと思うんですね。お話を伺っていると、大友さんのご研究も、そうした営みに繋がっているように感じられるのですが。
A)そうですね。古典に限らず文学には、その物語の面白さだけでなく、書かれている内容のなかに自分を発見する、感情を言葉として理解できるようになるという面もあると思いますね。古典の場合は、それが1000年前から連綿と続いているのがすごいわけですよね。1000年経っても、自分が「鳥肌が立つような言葉」に出会える瞬間がある。
Q)「鳥肌の立つ言葉」というのは、いい表現ですねえ。
A)(笑)
Q)大友さんにとっての古典は、幼いときから、大友さんにとって自分ではなかなか言葉にできないけれども大切なもの、形はないけれど大事なものを、きちんと表現として提示してくれるものだったのかもしれませんね。
A)もともと百人一首に出会ったときに、お話を書いたり詩を書いたりすることが好きだったんですが、和歌ってそれこそ詩的な表現じゃないですか。自然や事象を美しく表現する技法に、自分ではとても辿り着けないものがあって、それに対する憧れが強かったですね。「美しいものを美しいままに描き出せる表現を知りたい」という欲求が強くありました。そこが結びついているんでしょうかね。
Q)やっぱり「美しさの探求」、「それをありのままに描き出せる技術の探求」がキーワードなんですね。物語を好きなひとって、大まかに分けて、それをコミュニケーション・ツールとして利用するひとか、それを通じて真善美に迫ろうとするひと、向こう側に至ろうとするひとに分けられるかなと思うんですよ。大友さんは明らかに後者なんですね。
A)割と前者が苦手だった、ということはあると思うんですけど(笑)。
Q)みんながいうほど、コミュニケーションは必要だと思わないというか(笑)。後者を突き詰めるほうがよほど大事で。
A)そうですね!(大笑) 関心としてはどうしても。
Q)そうするとこれは、国文学科に来るべくして、来たひとなんでしょうね。
Akari Otomo photo
上智大学国文学会発行の『国文学論集』を手に取る大友さん。院生たちも多く執筆。

研鑽の場としての大学院

Q)では、修士課程への進学も、自然ななりゆきだったんでしょうか。
A)あの、正直にいいますと、4年で卒業するつもりで、就活もしてたんです、8月まで。でも、いろいろ企業をみていたんですけど、何か、やりたいことではないなあ…という感じがずっとしていて。まったく納得感がなかったので。一方で、どうせ国文学科へ来たのだから、進学したい気持ちもあったんです。それで。
Q)では、就職の可能性も一応は検討したので、進学にはそれほど、不安や心配はなかった?
A)でもまあ、さすがに回りはみんな就職じゃないですか。ってなると、不安はもちろんありましたし。
Q)取り残された感、ありますよね。
A)ありますねえ(笑)、大丈夫かなあって。でも、やりたいことだったし、何よりやっていて面白いと感じることだったので、そこについての後悔はありませんでした。いまも厳しさは感じていますけど、頑張るしかないので。
Q)修士に入学されて、カリキュラムなどはいかがでしたか。割合に忙しかったかと思うんですが。
A)そうですね。学部と同じで、国語学、漢文学、近代、古文、どの分野でも単位が取れるようになっているので、やっぱり古典だけ集中してやるというのはできなくて。確かに忙しい、修論の研究ばかりしているわけにはゆかなかったです。
Q)そのときの基礎訓練は、博士課程まで来てみて、やはり必要なことだったとは思いますか?
A)それはもちろん! 必ず繋がってくることですので。漢文はもちろん古典の基礎ですし、国語学も…。わたしは修論で、『夜の寝覚』の文中にある「さりげなし」という言葉を追いかけたんですが3、語誌をみてゆくこともありますし、言葉を分析するために必要な勉強だったので。どれもまったく無駄ではなく、むしろ役にしか立たなかったです(笑)。必要な忙しさでしたね。
Q)本廣先生も、同じような方法論を使って研究をされていると思うんですが、どのようなことに気づくか、焦点を当てられるかに、研究者としての独自性が表れてきますよね。それは、それぞれの研究者の積み重ねの結果なんでしょうし。大友さんはその最中、ということですね。
A)そうなっていればいいな、と思います。
Q)国文学専攻のなかでも、いろいろな仲間たちが切磋琢磨していると思いますが、大友さんにとってはどういう環境でしょうか?
A)だいたい院生は研究室(院生室)に集まっているんですが、居心地はよくて。専門外の演習の報告準備などで分からないところがあれば、いろいろな分野を学んでいる院生がいるのですぐ質問できますし。お互いそういう質問をしあいながら、和気藹々とやっています。
Q)研究以外のことも話しあえる感じでしょうか?
A)そうですね、院生でないと共感しあえないこともたくさんありますし。非常勤の仕事の話をしているひとがいたり、今後の進路やいまの授業について、何でも話せる環境かなと思います。
Q)うーん、優等生的な話がたくさん出てきますね。まあ、そのとおりなんだと思いますが(笑)。
A)ほんとにそうですよ!(笑)
Q)外の大学のゼミや研究会、学会に出て学ばせていただく機会も増えると思うのですが、学会デビューはいつ頃でしたか?
A)わたしはまだ1回しか報告の経験がなくて。上智の国文学会※4で今年発表したくらいです。
Q)『中古文学』のほうに書かれたのは投稿論文で、発表はなさっていないんですね?
A)していないです。…すみません。
Q)いえいえ。上智の国文学会は、外部のひともずいぶんいらっしゃるのですか?
A)やはり、上智で教えていらっしゃった方、卒業生の方が中心ですね。
Q)報告されてみていかがでしたか?
A)もちろんすごく緊張はしたのですが、例えば分野がまったく違う方からの質問で、自分がまったくみえていなかった、気づいていなかった問題点をご指摘いただいたり。ここは説明が足りていないんだな、というところは質問が多く出て来るので、やっぱり学会で報告することは大事だなと思いました。
Q)緊張はするタイプですか、しないタイプですか。
A)あ、とてもするタイプです(笑)。

古典不要論に悔しい思い

Q)それでもいまは、よい環境で自分の研究が深められているわけなんですね。…でも、博士課程に進むという決断は、修士までと違って、それなりに重い意味があったと思うのですが。例えば実際、国文学科の博士課程にまで進んでしまえば、あとは中高の国語の教員か、研究者になるしかないところもあるでしょうし。
A)そうですね…。でも、一度就活はしていますし、他の仕事は違う、という気はずっとしていたので。わたしが突き詰めたいのはここなんだな、と。例えば、一般企業に就職するひとたちも、これをやりたい、この分野で貢献したい、ということがあると思うんですが、わたしは平安文学に関心があって、将来の進路を考えても、ここを突き詰めたいのだ、という思いがあったので。もちろん、この先は茨の道だとは思うんですけど。
Q)では、修士で研究なさっているときから、もう博士課程進学は意識していらっしゃった?
A)さすがに覚悟はいるので、もやもやはしていたんですが。…そうですね、修論がけっこう面白かったので。それこそ、『夜の寝覚』という作品が、これをまだまだやりたいな、と思わせてくれる作品だったんですね。それもあって。
Q)一方で、博士後期課程には進学せずに、中高の教員などをしながら研究を続ける、という方々もいらっしゃいますよね。そういう選択肢は採らずに、学位論文を書かねばならない、という強いモチベーションがあったわけですよね。
A)そうですね。プラス、わたしは実はまだ教員免許を持っていなくて(笑)。今年、教育実習にいったくらいなんですよ。でも確かに、教育よりも研究に意識は行っていますね。
Q)教員免許をお取りになるというのは、ポスドクの対策として?
A)現実問題、収入を得なければなりませんので。ただ、もちろん国語という授業が好きだったので。自分の知識を活かして社会に貢献できるとしたらこの仕事なのかな、とは思います。
Q)ちょっと国語教育については伺わなければ、とは思っていたんですが。例えば、小学生の頃に自分に古典への関心を開いてくださった先生のように、子どもたちや若いひとたちに古典を好きになってほしいとか、そのあたりのアウトリーチ的なモチベーションはお持ちではないんでしょうか。
A)あ、それはぜひ広めてゆかなければ、とは思っています。それこそいま、文学離れみたいなことはいわれていますし。学部時代に塾講師をやっていたんですが、国語を教えていると、「古典・漢文なんて要らないよ」とはよく聞くので。すごく勿体ないな!と思っていて。古典に携わる者として悔しいですし。今年実習に行ってみて、やはり教育現場で古典を教えることが、その問題にアプローチするにはいちばん大事な場所なんだ、ということは重々感じましたので。そこにも踏み込んで行けたらな、とは思っています。
Q)実習のときに、この子は昔のわたしだな、という生徒さんはいらっしゃいましたか?
A)いましたね!(笑) 古文を教えてたんですが、明らかに学習意欲が周りとは違う感じの。すごくびっしりワークシートも書いて、うんうん頷いて授業を聞いてくれる。そういう子が、国文学科に進んでくれるといいなと思いましたね。
Q)そういう子が、もしかしたら大友さんのことを、ロールモデルとして捉えているかもしれませんしね。
A)だったら嬉しいですね!
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国文学科はユニークな先生も多い、と緊張もほぐれる。

好きな作品の価値を、自分で生み出せるのが研究

Q)いま人文系の大学院に入ろうかどうしようか迷っているひと、大学院自体にあまり関心がないひとへ向けて、「大学院ってこんなに面白いところですよ」と、何か、若手の研究者としてメッセージをいただけますか?
A)文学研究の面白さは、自分が好きな作品、面白いなと思っている作品に、自分で価値を付けられるところだと思うんですよ。それこそ、高校までの授業だと、すでにある見解とか価値とか、教科書に載っている「価値付けられた作品」を読んで、こういうものがあるんだな、で終わってしまうと思うんですよ。研究はそれとは違って、この作品はこういうところが面白いんだぞ!って、ある程度の根拠をもって、世の中に示せるところがいちばんの面白さですよね。ですから、文学が好きなひとはぜひ、その熱意をいちばん発揮できるところだと思いますので、…来てほしいなと考えます。
Q)なるほど、よく分かりました! ちょっとぼくのほうで文脈を主導してきてしまったところはありますが、大友さんのほうで、何か話し足りなかったところはありますか?
A)そうですね…。文学系の大学院へ行ったら就職できない、という話はよく聞くと思うんですよ。インターネットを検索すれば、「人文系の大学院へ進学したら将来は暗い」なんて出てきますし。でも、例えば修士課程を修了して一般就職、というひとも増えていると思うんですよね。ですから、そんなに怖がらなくてもいいのかなと(笑)
Q)確かに。いま、大学って忙しくなっているので、6年かけないと本当に納得のゆく研究はできない(卒論が書けない)部分はありますよね。修士まで行って完全燃焼してから就職しても、就職状況は4年新卒の場合とそれほど変わらないですし。だから、怖いことはありませんよと。
A)何より面白いですしね!
Q)それがいちばん大事ですよね、本日は長時間ありがとうございました。
A)ありがとうございました。これで大丈夫ですかね…。

  1. ……本廣陽子、本学文学部国文学科教授。 ↩︎
  2. ……菅原孝標女は、父親の国司赴任に従い、上総国に下向した。現在の千葉県市原市、JR内房線五井駅の前には、孝標女の像が立っている。 ↩︎
  3. ……「『夜の寝覚』の「さりげなし」─すれ違いを描く方法として─」(『中古文学』113、2024年)として刊行された。 ↩︎
  4. ……上智大学国文学会。本学国文学科の設置する学内学会。毎年夏季・冬季の2回の大会を開催、『国文学論集』を刊行している。 ↩︎

【史学専攻】自分と出会いなおす旅。


新井梨予 さん

博士後期課程史学専攻、史学科研究補助員



「なんでここまで惹かれちゃったんだろう」 を探す旅

Q)新井さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)専門としているのは、近世のスペインの歴史で、そのなかでもいちばん南の海辺にある、マラガという都市の研究をしています。わたしは場所ありきで研究をしているところがありまして、高校のときに夏休み一度、マラガに1週間ほど滞在したんです。それが初めてのスペインで。歴史的なものは残っていますが、観光資源という感じで。普通のリゾート地だったのに、なぜかずっと引っかかっていて。まず、スペインで卒論を書こうとは思っていたんですが、そのなかでもまずマラガ、都市に注目しようと。
Q)海外旅行はもともとお好きだったんですか?
A)高3の夏休みだったんですが…、スペインのことはずっと好きだったんですが、大学をスペイン語学科にするか歴史をやるか迷っていまして。とりあえず、スペイン語を何とかしようと。スペイン人に会ったこともなかったので、本物をみてみようと。未成年者をひとりで受け容れてくれるのが、マラガの語学学校だけだったんですよ。それだけなんです。
Q)そうすると、かなり偶然のところもあって、マラガと出会ったと。
A)そうですね、偶然です。行きたくて行ったわけではなくて。それが、初ヨーロッパでした。
Q)スペインがお好きだったというのは、そもそもどういう?
A)それは、遡ること保育所時代…。
Q)ずいぶん遡りましたね(笑)。
A)保育所に置いてあった、『ねぼすけスーザのはるまつり』1という絵本がありまして。日本人の方が書かれたものなんですが、いま考えてみますと、セビーリャの春祭りがテーマになっている絵本なんですね。スーザちゃんという女の子が主人公なんですが、けっこう貧しい…両親がいないのか、おばさんの家に預けられていて。貧しくてお祭りに行く靴が買えないんだけど、ドレスの端切れを使って古い靴をデコレーションして、お祭りに行くという。なんてことのない話なんですけど、それからスペインのことがずっと好きで。とくにアクションを起こしたわけではなかったんですが。
Q)でも、大学でスペインを学ぼうとするほどの動機には育っていったんですね。
A)両親もあまり、実学を勉強しろとはいわなかったので。まずスペイン。それと世界史が好きだったので、世界史のなかでスペインをやるか、それとも語学をやるか。ツールか方法かで迷っていたくらいです。
Q)そうするとやはり、マラガとの偶然の出会いが、一生を決めてしまったというか…。それがどんな出会いだったのか、具体的なところが気になりますね。何でそんなに惹かれちゃったんでしょうね?
A)うーん、たぶん、「なんでここまで惹かれちゃったんだろう」を、ずっと探している気がします。
Q)なるほどね!
A)スペインはともかく、なんで他の都市じゃなくマラガなんだろうという問いは、ずっと自分のなかでもあって。
Q)じゃ、当時最初に行ったときも、惹かれるきっかけみたいなものは何もなくて…。
A)そうです、ずっと日本へ帰りたくて。たった1週間なのに。マラガって、ドイツとかヨーロッパの北の方のひとたちが、夏休みに語学研修に来ることが多くて、学校でもスペイン語とか英語とかではなく、ドイツ語やフランス語話者が多くて、とても孤独でした。2日目からもうホームシックです。ひとりで観光できる時間は楽しかったですけど。
Q)帰りたい帰りたいという孤独な時間と、そこから解放される自由な時間と、そのコントラストのなかで惹かれていったんでしょうかね。「スペインとマラガとわたし」みたいな(笑)。
A)ほんと、ごめんなさい、参考になる話じゃないんです(笑)。

マラガも上智も「思い込み」から

Q)でも史学科に入ったというのは、マラガを勉強するのは、歴史を考えたほうがいいと思ったんですか?
A)そもそも史学科に入る段階では、まだマラガに絞ろうと思っていなくて、スペインの歴史への関心だったんです。語学はツールなので、甘い考えなんですけど、自分で頑張れば何とかなるんじゃないかと。なら、語学じゃなくていいのかなと。
Q)どっちへ行っても、上智だったかもしれませんけどね。
A)そうなんです、ずっと上智に入りたくて!
Q)えっ、そうなんですか。
A)中3から上智のオーキャンに来るという、謎の。ほかの大学のオーキャンには行ったことなくて。
Q)そうなんですね! それはなぜなんですか。
A)イメージです…。
Q)(笑)
A)わたし小・中・高と、ずっと仏教系の学校の出身で。だから、宗教色の強い学校への忌避感はないんですよね。あとは規模感でしょうか。家からも通いやすいし、雰囲気もよいので。なぜかずっと上智。
Q)マラガにしても上智にしても、新井さんのファースト・インプレッションをずーっと引きずっているというか。
A)そうなんです、よくいえばファースト・インプレッション。でも、「思い込み」なところもちょっとあるんですよ!(笑)
Q)自分でも意識化していない、感性の部分で惹かれるものがあって、それを最終的に追究していったわけですね。でもどうですか、入ってみてその自分の印象は正しかったのか、間違っていたのか。
A)正しかったから、こんなに長い間いるんだと思います。
Q)居心地はよかったんですね。では、マラガを最終的に研究の対象に選んだのは、どのような経緯だったんでしょう?
A)3年生…卒業論文を意識する頃ですかね。それまで何度か、研究の方向性をまとめることはあったんですけど、まだマラガでは全然なくて。それを指導教員の坂野先生2が、「こんなの!」と(笑)。面談をたくさんしてくださるんですよ。「なんでスペインなの?」というところから話していったとき、「それって、マラガなんじゃないの?」と。
Q)ああ、「坂野セラピー」の結果なんですね!
A)そうそう、けっこうあるんです。
Q)指導教員との対話を通じて、自分を再発見するという。
A)すごい言語化!
Q)ああ、けっきょく自分はあのときのマラガを追い求めているんだな…と気づいて、じゃ、あらためてマラガに取り組もう!と。
A)そんな感じです!

「来ちゃった」 ✖️2

Q)なかなかキレイな物語り(笑)。で、取り組んだ卒業論文の出来は、ご自分からみて?
A)いやもうヒドイ…。わたし書くことが苦手で(笑)。だから、なんでいまここにいるんだろうと、ずっと思っているんですが。思っていることをきちんとした文章にしてゆくのが、ずっと苦手なんですよ。学部のときのレポートはすごく好きだったんですが、それが「卒論」となると、急に身構えて、ぜんぜん書けなくて。〆切の日の、朝まで書いてました…、あまりよくないタイプの…。
Q)学術論文とか、論理構成がきっちりしたものはダメなんですね。でもずっとお話をうかがっていると、感性はとても豊かだし、エッセイとかは得意なんじゃないですか?
A)そうだと思うんですよね。
Q)では、自分ではあまり向いていないと思っているほうへ…。
A)来ちゃった。
Q)というわけですよね(笑)。そうすると、その先修士課程へ進学しようというのは、大きな判断ですよね? 友だちが一般就職すると、「取り残された感」は強いじゃないですか。
A)そうですね、仲のいい友だちはみんな就職しちゃったので…。わたし進学を決めたのが、遅くて、4年生の就活が始まっている時期だったんです。就活自体も、若干していました。でも、本当にはやる気がないから有名どころにしか出さず、対策も立てていないのでもちろんダメで。で、もう無理だと思いまして、「休学したい」と、坂野先生に話しに行ったんですよ。でも、「面談してほしい」ということで研究室に行ったら、先生は、「なに?大学院の話?」って(笑)。
Q)スペイン、マラガ、サカノ、という引きが…(笑)。坂野先生のなかでは、このひとは大学院に行くひとだ、という位置づけになっていたんですかね。
A)勧めてみれば行きそう、というくらいでしょうか…。
Q)そういわれたときにどうでしたか?
A)いや、ぜんぜん考えていなかったので。大学院は、優秀なひとが行くところだと思っていたので。同期にフランス語とかすごくできる子もいたんですけど、わたしはできないし。ですから、いわれたときはびっくりしたんですが、母が乗り気で。「いいじゃん、行っちゃいなよ」って。「来てもいいっていってくださっているなら、行けばいいじゃん」と。で…来ちゃった。
Q)パワーワードですね(笑)。お母さまは、梨予さんをみていて…。
A)みていて、ずっといっていたのが、この時代、20歳そこそこで就職は違うんじゃないかと。
Q)20代の間はまだまだいろいろなことを学んで、経験して、好きなことをやりながら、自分を磨いたほうがいいだろう、という方針なんですね。
A)そういう家庭方針。
Q)そうしたなかで、回りが許してくれるなら、行ってもいいのではないかと。
A)そうですね…。とにかく就活が嫌で。スーツ来たくない(笑)。就職するにしても、そんなみんなでスーツ着なくてもいいじゃないかと。抗い。
Q)なるほど、いいですね! そう思っている人は、いっぱいいると思います。でも、これまでを振り返って、ふわっとしているみたいな感じで話されていますけど、かなり尖った行動をされてきていますよね、実は。
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成り行きにみえて、新井さんの人生は厳しい決断の連続。

ずっと自分の関心のありかを探してきた

Q)それで進学された修士課程、いかがでしたか?
A)修士1年が…意外と、大変でした。自分の研究というより、取らなければいけない科目の課題が多くて。学部のときより忙しいじゃん!と。
Q)もっと自分の研究をゆっくりできるかな、と思ったら。
A)できるかな、と思ったら…そうでもなく。不足な部分を学べる意味ではよかったんですけど、びっくりしたかなと。
Q)振り返ってみると、やっておかなければならなかったことだったな、とは思いましたか?
A)学部のときにやっておくべきことだったな、と。なんでわたしはこんなことも知らずに大学院へ来ちゃったんだろう、とはすごく思いました。修士1〜2年のときには、イスパニア語学科の内村先生3のゼミにも出ていて、これまで史学科ではフランス史のゼミだったので、肝心なスペイン史の基本を学んでいなかったんですよ。もちろん、興味のあるところは勉強していましたけど、全体像が分からなかったので。坂野先生は、「国制史」というより宗教や都市空間がご専門で、内村先生は複合国家論4とかを研究している方だったので、オーソドックスな歴史学のスペイン史をしっかり学べたのは大きかったと思います。
Q)歴史学全体のなかで、スペイン史、そしてマラガの位置づけができるようになった、ということですかね。
A)そうですね。
Q)でも、自分の研究していることの周辺がクリアーになってきて、見通しが利くようになると、かえって自分の研究の小ささとか、不充分さがよく分かってきて、怖くなることなどはありませんでしたか?
A)そうですね…、「結局これをやっていて、どうなるの?」といった疑問は常にあります。「なんでマラガなんだろう」も、きちんと言語化できていませんし。スペイン語文献も読めるようになると、「あっ、自分が研究していたこと、もうここにあったじゃん」みたいなこと、再生産していただけか…とがっかりすることもけっこう多くて。修士論文を書く前も書いた後も、ずっとそういう状態かもしれません。
Q)学問てみんなそうだと思うんですけど、そうすると逆にやめられなくなっちゃう?
A)そうですね…、不完全燃焼感がずっと強くて。社会に出てからも続けられるっていいますけど、自分はこの環境に身を置き続けるしかないのかって。
Q)それがドクターまで進んだ理由なんですかね。例えば、中高の先生をされながら、一方で研究を続けている先輩方もいらっしゃいますが、そうすると仕事のほうしかできなくなっちゃいそうで?
A)わたし、定職が決まったらとにかくそれに打ち込まなきゃいけない、それしかみえなくなっちゃう性分なんですよね。時間で区切られる仕事ならいいですが、実は教員免許も持っていなくて…。なので、一般的な正社員ということになれば、両立は難しいですから。
Q)そうすると、修士のときよりだんぜん自分の研究へ専念できる環境で、思う存分やってみたいというところですかね。…さて、それでは、「なぜマラガなんだろう」をずっと問い続けて博士課程まで来た新井さんには、いまマラガはどう捉えられていますか?
A)修論を書き終わってここ最近で気づいたのは、マラガを舞台にした「人の移動」に関心があったんだな、ということですね。マラガって沿岸部の街なんですが、商人でも何世代にもわたって定住するひともあれば、一時的に留まるだけの滞在者もいて。北アフリカ(マグリブ)と近いので王国の軍隊が駐留していたり、海賊などの襲撃で住人が捕虜として捕らえられていたり。ひとの出入りがとにかく激しくて、自発的だったり強制的だったり…。そういう、ひとがさまざまな動きをして、それを都市という箱がどう管理をしているのか、というところに興味があったんだなと、修論を書き終えてようやく掴んだ気がします。
Q)なるほど、そうするとずっと、自己探求の旅だったんですかね。マラガを手がかりにして、ずっと自分の興味関心のありかを探し求めてきた。自分っていったい何だろうと、考え続けてきた結果でもある。
A)そうですね!
Q)マラガに最初に来たときに、多彩なひとのゆきかう風景をみていて、しかしそれは自分の気持ちの底に沈んでいて気づかずにいたけれど、…研究を通じてかつて惹き付けられた風景が、よみがえってきたということなんでしょうか。博士課程まで来て、マラガと出会いなおした、自分と出会いなおしたと。
A)キレイな言葉でいいなおしていただきました(笑)

学会報告と「頭のいいひとたち」

Q)ちょっと話は変わりますが、大学院での研究生活は、どのような感じでしょうか?
A)やっぱり忙しいですね。ずっと何かに追われている。「自由」ではないですよね。
Q)長期休暇はどうですか?
A)本当は現地に行ったほうがいいんですけど、ぜんぜん行けていなくて。修士の最初のほうは、新型コロナウィルスの流行が被っていましたし、『紀尾井論叢』5の研究ノートを書いたり、修論へ向けてスペイン史学会6で研究報告をしたり、東京外語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所がやっている「中東☆イスラーム教育セミナー」7に出たりとか。これまでずっと、夏休みは報告系が忙しかったですね。
Q)でも、自分の研究ができていた、ということではありますよね。初めての学会報告、研究会報告はいかがでしたか?
A)最初は、坂野先生がなさっている若手研究セミナーだったので、いらっしゃっている先生もだいたい存じ上げている方だったんです。ですから、スペイン史学会の報告がとても怖くて(笑)。でも、参考文献に挙げさせていただいている先生方から、軒並み質問をいただいたので、どうしようと思いましたけど…でも、あまり怖ろしいご質問はなかったので。本当に細かなこと、スペイン史のひとが回りにいなかったので困っていたことを、直接伺えたのでありがたかったです。
Q)学会のよい面を吸収できたんですね。
A)そうですね。それから、同世代のスペイン史研究者にもこれまで会えたことがなかったので、ネットワークが広がってよかったなと本当に思います。そうそう、大学院に来た理由でもうひとつあるんですが、専門的な知識を持っているひとたちから、直接そのひとたちの使っている言葉で、お話を伺いたいという気持ちが強いんです。一線で活躍する研究者の方々が、難解な学術用語で応酬しているところをみたい!と。それを見聞きするためには、自分も同じ土俵に上がらないとアクセスできないので。
Q)ははあ!(笑) でも伺っていると、新井さんは、徹頭徹尾ひとへの興味関心がすごく強いんですね! ひととひととが交流している、その様子をみたいという好奇心がすごく強い。それに貫かれているんだ。
A)そうかもしれない(笑)。
Q)ひとに関心をもって、出会ったひとのいうことをよく聞いて、ひとを大切にしてきた結果の研究、ということなのでしょうね。
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いまはようやく、自分の好きな研究と向きあえているという。

少しでも関心を持ったのなら、飛び込んだほうがいい

Q)最後に、大学院へ行こうかな、どうしようかな、と迷っているひとたち、まだあまり関心のはっきりしていないかもしれないひとたちに、メッセージを。
A)「行こうかな」と思ったのなら、来たほうがいいですね。
Q)新井さんの行動原理ですよね!
A)そうです! 「行こうかな」と思ったのなら、何らかの興味があるということですし。一度外へ出て、ということでももちろんいいと思いますが、学部のうちに少しでも思ったのなら、行っちゃえばいいと思いますね。まったく関心がないひとは、「知らない」だけだと思うんですよ。嫌いなわけじゃないんですから、情報がなかっただけで。
Q)そうですね、大学院がもっとアウトリーチ活動に力を入れろと! お前、何やってんだと!
A)いえいえ(笑)。
Q)(笑)われわれの課題も、ハッキリと指摘していただいて。本日は長い時間、ありがとうございました。
A)こちらこそ、ありがとうございました。
  1. ……広野多珂子作の絵本。2005年、福音館書店刊。 ↩︎
  2. ……坂野正則、本学史学科教授。専門は、フランス近世の宗教史・社会史。 ↩︎
  3. ……内村俊太、本学外国語学部イスパニア語学科教授。専門は近世スペイン史、とくに16世紀の歴史編纂。 ↩︎
  4. ……19世紀以降の国民国家(均質な国民・一元的な権力体制・ひとまとまりの領土)に比して、多様な社会集団と権力行使のあり方、分散的な領土をも持ちうる、近世以前の国家形態。 ↩︎
  5. ……本学大学院のさまざまな専攻に属する院生たちが組織する、「上智大学Sapientia会」発行の学術誌。 ↩︎
  6. ……日本におけるスペイン史研究の主要学会。1979年設立。 ↩︎
  7. ……中東・イスラームに関する大学院・若手研究者の支援のため、東京外国語大学アジア・アフリカ言語研究所が推進する教育・研究プロジェクト。2005年より毎年実施されている。 ↩︎

【哲学専攻】問わなければ、満足して死ねない。


石田寛子 さん

文学研究科特別研究員(哲学専攻)



「顕現せざるもの」の経験をどう捉えるか

Q)まず、石田さんのご研究の魅力を、一般の方へアピールしていただけますか。
A)最近学部の授業を持つようになりましたので、いつも、「どのようにすれば伝わるのか」を考えているのですが…わたしの研究は、分野としては「現象学」、領域としては宗教哲学になります。本学には神学部もありますが、それと比較すると明瞭になるかもしれません。神学部の学びが神の存在、そしてその神へ向かうひとを前提にするなら、哲学科は神を前提とせずに、「宗教的」とされる経験そのものを追究する学びなんですね。宗教があって経験があるのではなく、まず経験一般があってそこから宗教が出てくるのではないかという、ベクトルが逆なんですね。わたしたちはふだんさまざまな経験をしますが、それは本当の意味において「経験」しているのか。それは「仮象」1に過ぎないのではないか。よって神についてもひとまずは「 」に入れ、現実の経験から出発するわけなんですね。批判に批判を重ねて最後にみえてくるもの、原初的なものがみえてくるのではないか。それにわたしたちは事後的に、「神」という名前を与えているだけなのではないか。経験にもいろいろありまして、とくに宗教にも繋がるそれは、「みえないものをみる」こと、「語りえないものを語る」こと、そして「知りえないものを知る」こと、「顕現せざるもの」の経験なんですね。それをどのように捉えるのかが、わたしの目下の研究テーマになっています。
Q)神学のことを比較対象に出されました。本学でこそやらねばならない研究だと思いますが、しかし一方、神学にも保守的な立場があるとすれば、石田さんのような問題意識を本学で持ち続けるのは、けっこう大変なことではありませんか?
A)仰るとおりですね! キリスト教の伝統と、思索の一形態としての現象学とは、実のところ分かちがたい関係にあるのではないかと思います…。やはり宗教における際立った問題として、その経験が本当のものであるかを問わなければいけないと思うんですね。絶対化してしまう、偶像化してしまう、ということもありますし…、そうしたことは個人的にも経験してきましたので、きちんと向きあって研究しなければいけないと思ったんです。「幻惑」と「真理」の近さと遠さですとか、「救済」とそうではないものとの見分けがたさですね。それらがどのように経験され、また仮象として見破ることができるのか…という、根本的な問いがあります。

「神なき」あり方こそ「神に近い」

Q)ご自分の信仰のうえでも、現象学と向きあう必要があったということですね?
A)はい。
Q)しかしそれは、回りに神学の先生がたくさんいらっしゃるなかで、かなりの決意と覚悟がなければできないことだと思いますが…。
A)確かに、あらためて認識しました! 仏教でも、坐禅の瞑想のなかで仏を観てしまうと、「槍で突き刺せ!」とか「頬を叩け!」とかいいますよね。まさに、観てしまったことへの誘惑に、いかに打ち勝つのか。そこが宗教の仮借なさ、でしょうかね。そうしたところに、常に立ち続ける覚悟は必要だと思います。
Q)哲学全般がそうなのかもしれませんが、「求道」ですね。
A)そうですね、道ですね、ハイデガーもいっていますけれども。
Q)しかし信仰と研究を、ある意味で一体化させる形でなさっているとすると、それらが乖離してしまう、対立してしまうこともあるのではないかと思いますが、これまで、そうした経験をなさったことはありますか?
A)難しくなってきましたね(笑)。しかし、どこかで自分の「神」を疑うという経験を…どこかで通過することは、むしろ必要かもしれません。人間はどうしても安きに流れてしまう、「安心」というものを求めますが、あえてそこで目を見開かなければ、本当のものには辿り着けないと思いますね。
Q)「神をみてしまうとき」は、自分がいちばん弱くなってしまっているときかもしれないですしね。
A)いちばん危険ですよね。そうした意味では、むしろ「神なき」あり方が、かえって「神に近い」、神聖なものに近いといえるかもしれませんね。

本を通して孤独と向きあう

Q)大変理性的な立場に自分を置かれていてすごいのですが、そうした研究のあり方の原点となる経験は、何かおありでしょうか?
A)哲学全般にいえることだと思うのですが、やはり「生きるとは何か」という問いが、根本にありますね。「自分とは一体何者か、この世において何をなすべきなのか」…それは、いつの頃からか考えていたと思います。自覚したのは、哲学科に行こうと思ったときで、中学生の頃だったでしょうか。
Q)多感で、自分と世界について深く考える時期だと思いますが、みんながみんなそうではないでしょう。かえって孤立感を深められたのでは?
A)仰るとおりです。学校では主題化できなかったですね。なので、本を通して2、自分と向きあうことが多かったと思います。その頃は、パスカルの『パンセ』3が大好きで! 危ない中学生ですが(笑)、なぜか本屋さんで出会ってしまったので。分かったような気になって読んでいたんだと思うのですが…何かそのなかに、「真実なるものへの問いがある」と、考えていましたね。
Q)どなたかとの対話のなかで、というより、本を読むなかで問いを深められていたんですね。
A)他者との対話と自己との対話、二つの大切な対話があると思いますが、気がつきますと、どちらも本を通してやっていましたね。
Q)でもそういう中学時代、高校時代は、やはり苦しさとか、つらさとか…?
A)苦しかったですね!(笑) 現実と向きあわなければいけないので…でも、そのなかで倫理や世界史の授業、あとは語学か、それらでは解放されました。
Q)倫理は分かりますが、世界史はどういった?
A)世界史はやはり、人間のドラマの展開、人間が生きてきた痕跡といいますか。先生がよかったのですが、そのなかに自分の生も、生きられてゆくんだなあと感じまして。
Q)書物を通して、哲学者やそのひとやそのひとの思想、過去を生きた他者たちと向きあいながら、問いをどんどん深められていったわけですね。もう高校生の時点で、哲学科に入学されているような(笑)。いままでうかがった話からしますと、哲学か宗教か、選択肢としては二つあったと思いますが、大学に入学されるときに前者を選ばれたわけですね。
A)当時何を考えたのかは明確に覚えていないのですが、やはり普遍的な問いとして、「真なるものとは何か」を深めたいと思ったのでしょうね。そのなかで、「神とは何か」「宗教とはどのような営みか」を、考えたいと思ったんじゃないでしょうか。この世にあらなければいけないけれども、それでいてこの世に埋没しない。「世にあって世にない」という、大変パラドキシカルなものが宗教だと思うんですが、それをいかに問うのかということで、哲学を選んだのではないかと思います。
Q)若いと、流行の現代思想などにかぶれてしまいがちだと思うのですが、割合に伝統的な大命題ですよね。
A)一方でそういうものへの関心はありまして…当時でいえば、『涼宮ハルヒ』とか大好きだったんですが。でも、そうしたものに距離を取らないと、自分の根本的な問いを見失ってしまう気がして。とくに中学生や高校生のときって、自分は何がしたいのか、何ができるのか、よく分からないですよね。それを見極めることができるのかが、いちばん大事だったのだと思います。自分が弱い人間だということを、自覚していたんです。もうすぐに、偶像とかそういうものへ、癒やされにいってしまうので(笑)。厳しくしなければいけないなと。
Q)中学生、高校生の頃から、石田さんのなかには、弱い自分をストイックに厳しくみつめる柱と、自分の興味関心を強靱に追求しようとする柱の二つがあって、その間で葛藤を繰り返していたということなんですね。それが「強い」、ということなのかもしれませんね。昔からの宗教者でも、強靱一辺倒のひとより、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、常に迷う弱いひとのほうが、共感できるし魅力がある。石田さんもそういうタイプなのかもしれませんね。
Hiroko Ishida photo
学生時代を思い出し、笑みもこぼれる。

マリオン『存在なき神』との出会い

Q)上智大学へ進学を決められたのは、かなり早い段階ですか?
A)プロテスタントの中高一貫校に通っていたのですが、中3の頃にオープン・キャンパスへ来まして、模擬授業にも参加をしました。いろんな大学へ行ったんですが、上智がいちばん、居心地がいいなと感じました。
Q)実際に入ってみていかがでしたか?
A)すばらしいと思いました(笑)。入学式の、石澤良昭学長先生の言葉を覚えているんですが、「三つの出会いを大切してください。他者(学びの友)との出会いと、本(学びの書)との出会いと、先生(学びの師)との出会いと」。それはまだ、わたしの心のなかで、生きているなと思います。
Q)石田さんが辿ってきた道を、肯定してくださるような言葉だったのでしょうね。中学・高校では解放できなかった自分を、大学では自由にできましたか?
A)素晴らしかったと思います! 自分の興味・関心と適合する科目、とくに魅力がある専門科目が本当に多くて。自分が取り組みたい学問はこういうものだったんだって、明確になる経験をしました。自分の問題意識はどんなものなのか、照らし返されて、そしてもう一度自覚されるという。でも、教職課程を履修してまして、取らなければいけない科目が決まっていましたので、ほかにも取りたい学びがたくさんあったのですが、残念でした。
Q)そういうなかで、現象学との出会いもあったのでしょうか。
A)ちょうど、卒論で何に取り組もうか考えていたときに、このジャン=リュック・マリオン(Jean‐Luc Marion)の、『存在なき神』4が翻訳されたんですね。いろいろやりたいことがありまして、友だちとアミダくじを作って、テーマを決めようかなんていっていたんですが。
Q)お友だちのお話が出ましたが、中学・高校から深い問いを抱えていらっしゃって、大学で他の学生との間に温度差を感じる、熱量の違いを感じることなどはありませんでしたか?
A)いい意味で個人主義でしたが、それでもわたしたちの頃は、自主的な研究会がたくさんあって。自然消滅してしまうものも多かったんですが、授業外での学びを作るという趣向は強かったですね。
Q)大学院でやるようなことを、すでにやっていた?
A)そうですね。もちろん、先生に反発するガス抜きの会、という面も強かったですが(笑)。授業に出ないで研究会だけ出る、というひともたくさんいました。
Q)さて、そうしたなかで『存在なき神』ですが、その出会いは具体的にどんなものだったのでしょう。読んでいるうちにだんだん引きつけられていったのか、それとも最初から響いてくるものがあったのでしょうか?
A)どうだったのでしょう…。本が出版されるタイミングも、やはりひとつの恩恵、「与えられるもの」ではあったと思うのですが、当時は知識もあまりありませんでしたので、きちんと理解できてはいなかったですね。しかしそうしたなかでも、ここに書かれているのは自分のことであるな、ということが、一方では確信されていたと思います。根本経験があったはずです。何度も読み込むなかで、お互いに深められてゆく、そういう「真実の本」だったとは思います。現象学ですから、いまこの世界に自分があるという経験から出発して、自己と向きあい、他者と向きあい、世界と向きあうひとつの通路として、この本があったのだなと思います。

世界をどう捉えるか、哲学者の役割とは

Q)そうした形で考えますと、石田さんはご自分の学問を通して、いまこの世界をどのようにみていらっしゃいますか?
A)大きな問いですね(笑)。現代は確かに「神なき時代」ですとか、「宗教なき現代」といわれることも多いですが、他方、授業で若いひとたちと接していますと、霊性を非常に求めていたり、スピリチュアルな感受性が強かったり、昨今の若者文化のなかにも、彼岸的なものとか、神的なものとか、スピリチュアルなものへの問いや憧れが、強く表れているように思います。例えば『進撃の巨人』は、まさしく現代人の霊性への希求を反映している作品に思え、大変興味を抱き、アニメ版は一気に観ました。そうしたなかで、みんな、一生懸命もがいている。それに対して、宗教者や哲学者は何ができるのか、大学の役割は何なのかを、考えなければいけないと思っています。
Q)大学人は、若者たちと付き合っていながら、彼らの現実が分からなくなっていることが多いですよね。「若者」「若者」と、言い訳のように使用して、逆に物語りを搾取しているといいますか。石田さんはいま、学生/教員のマージナルなところにいらっしゃるかと思いますが、そうした視点からみえてくるものはありますか?
A)授業をしながら学生に向きあっていますと、向こう側から、かなりシビアに自分をみてくる、もうひとりの自分がいるんですよ。「この授業は面白いのか、われ」と。あの頃の自分を、納得させられるような授業をしたい、と思っています。いま音大でも、「音楽と宗教」というテーマで教えているのですが、この間、ハッとさせられるような問いが学生からありまして。「自分は無宗教なのだけれども、宗教音楽を演奏することもある。しかしそのときに自分は、一体何に向かって演奏しているのでしょうか?」と。非常に考えさせられることがたくさんあります。大学はいま、一体どこへ向かってゆけばいいのか。境界人としての自分は、学生とともに学びながら、そうしたことを肌で感じる経験をたくさんしているところです。
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丁寧な口調でマリオンを語る石田さん。

「人を育てる」ことほど尊い職業はない

Q)ここまでお話をうかがってきますと、大学院へ進学されるのは自然なことだったのかもしれない、とも思えますが、それでもやはり、哲学専攻へ進まれるというのは、思い切った選択ですよね。
A)実は、大学院には初めから行きたいと思っていたんです。学部の授業のなかで、問いを深めてゆくにつれて、これは一生終わらないのではないかという危惧があったんですね。たとえ一度逃げても、必ずまた引き戻されるに違いない。自分のなかで哲学的な問いを問わなければ、満足して死ねない、満足できないだろうと、そういう予感がありました。
Q)それでは必然的に博士課程も、ということなんですね。
A)はい、研究が終わらないというか、終わらせてもらえないといいますか。
Q)先ほど、別の道に移ることを、「逃げる」と仰ったのが印象的でした。しかし哲学の場合も、大学以外の場に身を置いたほうが思考が深まる、という場合はありますよね。それでも大学という場にあったほうがよい、とお考えになったのですね。
A)「人を育てる」ということにも興味があったんです。これほど尊い職業はないのではないかと。両親が高校の教員でしたし、わたし自身よい先生に恵まれ、見出してもらったという経験がありますので。ひとを育てる、ひとと問うということを、研究とともにできたらよいな、とずっと思っていました。ひとを育てる、そのなかで自分も育てられる、そういう一生を貫く仕事を、研究とともにできたらと。
Q)ではいまは、理想へ向けて着々と、ということなんですね。
A)そうですね、他の道を歩む強さがなかったのかもしれませんが(笑)。
Q)初めての研究会報告、学会報告については、覚えていらっしゃいますか?
A)はい、緊張しましたね…! 上智大学哲学会が初めてだったんですが、内輪とはいえいろいろな方が聞きにいらっしゃるので、メチャメチャ緊張したんですが。ただ、総合演習という授業でプレ発表がありまして。その場で鍛えられましたので、何とかこなせましたけれども。
Q)時間はどのくらいでしたか?
A)報告30分、質疑応答15分で、標準的なところだと思いますが。
Q)でも、哲学や思想の発表となると、なかなかその時間では語り尽くせない、意見交換もし足りないんじゃないですか?
A)そうですね。そもそも問いを共有する前提が整っていないので、どこから始めたらいいのか…という点もありますね。

社会とともに、社会のなかで

Q)さて、どうやら時間になってまいりました。おかげさまで、石田さんと同じように、孤独に問いを抱えている若いひとがこれを読んでくれたら、「あっ、こういう道があるのか」と、思ってくれるかもしれないインタビューになったと思います。最後に、大学院へ入ろうか迷っている、あるいは大学院へとくに関心がないひとにも興味を持ってもらえるよう、何かメッセージをいただけますか。
A)大変ですね(笑)。どんなひとにも、「やるべきこと」があると思うのですが、それをいかに見出すのか。その行程は苛酷なもので、もちろん乗り越えるのは簡単ではありませんが、あえて向きあってゆくことが大切です。いま、「何をしたらいいか分からない」と思っているひとこそ、そうした問いを心の内に抱えているのではないでしょうか。哲学という学問は、そういう方にこそ向いている、学んでほしいと思います。学部だけで満足できない方は、大学院へ進んでください。とくに最近では、一度外へ出られて、戻っていらっしゃる方も増えましたし、そうした経験のなかからでないと、みえてこないこともあると思います。大学院はそうした方のためにもあるべきですし、社会とともに、社会のなかであり続けることが、危急の課題であると考えます。
Q)なるほど。それは哲学を学んでいる方々すべてが、共通してお持ちの問いであり、思いかもしれませんね。今日はお時間をいただきまして、ありがとうございました。
A)こちらこそありがとうございました、こんなのでよいのかな(笑)。

  1. ……現象学の用語で、客観的実在性のない主観的表象をいう。 ↩︎
  2. ……エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』の第1章にて、書物が、人間の存在のあり方と不可分に結びついたものとして語られている箇所がある。 ↩︎
  3. ……ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)による思索の断片が、死後にまとめられた主著。自己への深い省察、個人と共同体の関係、他者の問題にわたり、多くの箴言を含む。 ↩︎
  4. ……マリオンの主著。神をただ「与えるもの」と論じ、形而上学(人間の思惟)に取り込まれない形で、その超越性を定義する。 ↩︎

院生室探訪(1)

中央図書館には、文学研究科の各専攻ごとに、所属の院生たちが自由に使うことのできる研究室(院生室)が存在します。それぞれの専門研究に必要な独自の資料を備え、院生個人に割り当てられた机やロッカーを配置し、院生たちが日々研究報告の準備や学術論文の執筆に打ち込む。まさに、院生生活の主要な舞台となる場所です。今回は、初期掲載のインタビュー記事と連動し、哲学専攻・史学専攻・国文学専攻の院生室を紹介します。
哲学院生室
全景奥より。西窓側にたくさんの個人ブース、東側に書棚が並ぶ。静謐な雰囲気が漂う。
書棚
厖大な原書の蔵書群の一部。一生かかっても読了できそうにない。
辞書群
各言語の厖大な辞書群。哲学書を原文で読解する際の頼もしい味方。
哲学専攻研究室の特徴は、個人用研究机が整っていること、主立った一次文献が図書館の蔵書とは別に揃っていることで、院生の研究に資するところ大です。蔵書の管理は図書委員が担っていて、毎年新たにどのような書籍を購入すべきか、話しあって決めています。哲学専攻院生会という自治組織があって、院生たちが独自にこの部屋を運営しているわけです。本学哲学科の刊行する『哲学科紀要』、上智大学哲学会の機関誌『哲学論集』のほか、院生が独自に編集・刊行する『上智哲学誌』もあり、早くから議論を深め、批判にさらされるなかで、院生の力が非常に充実しています。個々の院生たちが独自に開催している読書会、研鑽の場である研究会も複数あって、みな直接自分の専門に関係ないところへも顔を出し、活発に意見交換していますね。インプットとアウトプットのバランスがとれている感じです。そのなかで、教員の研究に対する反抗心や、仲間への批判的精神も、しっかり培われています。〔石田寛子さん紹介〕
history room
静謐な雰囲気のなかで、ひとりひとりが文献にかじりつく。
文献が詰まった書棚。歴史学は史資料なしに始まらない。
自治組織の史学専攻院生会があって、書籍の選書・購入をはじめ、院生室の自治を行っています。書籍はやはり、日本史・東洋史・西洋史の古代から近現代まで、非常に多岐にわたって厖大なものがありますね。図書館の書庫にないものも含まれていて、学部の学生にも利用してもらっています。PC、複合コピー機、スキャナーなど、便利な機器も充実しています。院生の数は一時期より少なくなってしまったので、以前刊行していた院生のみの雑誌『紀尾井史学』は休刊状態なのですが、他専攻と協働で運営している上智 Sapientia 会の『紀尾井論叢』には、史学専攻の院生の研究がコンスタントに掲載されています。また、上智大学史学会や機関誌『上智史学』も、教員と一緒に運営しているので、院生の成果発表の場になっています。〔新井梨予さん紹介〕
やはり本の海。大友さんも当初、圧倒されたという。
国文学専攻の書籍量は、他の研究室より一際多い印象。

国文学専攻研究室の特徴は、とにかく本が多いことですね。他の研究室とは、書棚の棹の数が違うと思います。選書は教員と話しあって決めています。自治組織として院生会はありますが、書籍や機器その他院生室の管理全般を担うのと、あとは懇親会などの担当でしょうか(笑)。毎年4月に、学部の新入生を対象にした、図書館や院生室のオリエンテーションなども行っています。院生独自の研究雑誌はありませんが、上智大学国文学会を教員と協力して運営していまして、機関誌の『国文学論集』には、院生たちも多く執筆しています。国文に入ってくるひとはもれなく本好きでしょうから、居心地は最高によいと思います。〔大友あかりさん紹介〕